2006年に財政破綻が明らかになった北海道夕張市。翌07年には国の「財政再建団体(現・財政再生団体)」に指定されました。そんな夕張市の再生に挑んだのが、現在の北海道知事である鈴木直道氏でした。鈴木氏が「企業版ふるさと納税」による寄付を募り夕張ゆかりの企業をまわる中、寄付第1号に名乗りを挙げたのは、家具製造販売大手「ニトリホールディングス」の似鳥昭雄会長でした。本稿は、鈴木直道『逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ』(PHP新書)の一部を抜粋・編集したものです。
夕張市にゆかりがあったニトリ
財政再生団体である夕張市は、財政再生計画に計上されていないことを実行しようとしても、「災害その他緊急でやむを得ない場合」を除き、何をするにもまずは国の同意が必要です。
しかし、借金返済のみの再生計画では、まちは疲弊していく一方です。「地域を再生して豊かにするための財源を、自ら捻出しなければ」との思いから、市長2期目の私は夕張にゆかりのある企業をまわり、「企業版ふるさと納税」による寄付をお願いしました。
最初にお願いしたのは、株式会社ニトリホールディングスです。
1967年に「似鳥家具店」として札幌市で創業した同社は、ご存じの通り、国内最大手の家具・インテリアの小売店。似鳥昭雄会長は常々、「ニトリは北海道に育ててもらった」と語り、今も本社を札幌に置いています。
もともとニトリは、夕張市が財政破綻した2007年から、夕張が日本一の桜の名所となって多くの人が訪れるようにと何万本もの桜を植樹し、「ゆうばり桜まつり」のスポンサーにもなるなど、応援してくれていました。
夕張派遣時代の私は、ボランティアの一員として「ゆうばり桜まつり」の会場で鹿のフン拾いや祭りの運営に参加していたとき、似鳥会長の来賓挨拶を聞きながら、「似鳥さんの応援のおかげでお祭りができて本当によかった」と思っていました。
似鳥会長とつないでくれた百百代夫人
直接お話しするようになったのは、ニトリの創業以来、会長を支え続けている百百代夫人との出会いがきっかけです。百百代夫人は、私が都庁から夕張に派遣されたことをテレビのニュースで知り、「なぜ夕張のような大変なところに?」と関心を持たれたそうで、私が市長選に出ることになったとき、「応援したい」とわざわざ会いに来てくださいました。それ以来、似鳥夫妻は親しく接してくださるようになったのです。
私が夕張市長に就任してからは、似鳥会長からはよく「逆境に挑戦しろ」「不可能を可能にしろ」と言われました。会長自身、ニトリを現在のように成長させるまでは逆境の連続だったということで、若き日の自分と私を重ね合わせるかのようにして、接してくれていたのではないかと思います。