影の功労者、マネージャーとはどういう存在か

 マネージャーの存在についても触れておきたい。彼らは学生であるものの、選手と私の間に立つ存在で、スムーズな部の運営のためには重要なポジションである。だが、私の感覚としては選手寄りではなく、私に近い存在であり、マネージャーのなかのリーダーである「主務」はまさに私の右腕だ。入学時からマネージャーを希望して入部する者もいるが、実際は選手として結果が残せずマネージャーに転向する者が多い。どんなレベルの選手であってもやる気さえあれば指導を続けるが、2年目までで思うような結果が残せず、かつ事務処理の力がありそうな者には私から打診をする。

「チームのために頑張ってみないか? 私のそばで部の運営や管理の仕事を一緒にすれば、社会に出る前にいい経験になるぞ」

 実際、駒澤大学のマネージャー経験者は、実業団でもマネージャーを続けている者が多く、その経験を積んだ先にコーチとして選手を指導する立場になった者もいて、卒業後もさまざまなかたちで活躍している。

 だが、多くの者は私からの誘いに首を縦に振らない。もちろん気持ちはわかる。自分が走りたくて、箱根駅伝に出たくて、駒澤大学に入り、そこまで頑張ってきたのだ。どんなにケガで走れなくても、記録が伸びなくても、簡単には受け入れられないのだろう。マネージャーの重要性は誰もが認識しているが、すぐに返事できる者はほとんどいないし、実際にマネージャーに転向してからも、はじめはなんとなく、動きが鈍い。なかなか前向きな気持ちになれないのだろう。

 しかし、私も向いていない者には声をかけない。その子の良さを生かし、伸ばすためのマネージャー転向という意味合いが強いため、それに気づかせるように仕向けている。たとえば資料を作るのが得意だったり、周りのことがよく見えていたりといったところだ。

 私が何を考えているか、素早く察知し、先回りして行動できる者もいる。最近ではそんな選手には冗談めかして、2年生の終わりを待たずして、早くから声をかけている。

「俺が言おうとしていることを、言う前に理解できるなんてすごいな。マネージャーに向いているよ。どうだ? やるか?」

「やめてください。もう少し選手としてやらせてくださいよ」

 そんな会話を食堂でしたりする。もちろん本気ではないし、マネージャーはそんなに簡単な覚悟で務まらない。しかし、マネージャーになるのは決して悪いことではないと浸透させたいから、このようなコミュニケーションをとっている。