浜田と『ごっつええ感じ』で大喧嘩

「最低やな!」松本人志は激怒した…〈3人目のダウンタウン〉が回想する1989年の絆Photo:Sports Nippon/Getty Images

「浜田、こんど東京支社長になった田中さん、知っとるやろ?  俺の同期や。俺は大阪に残留だから、これからは番組のこともダウンタウンのことも、田中さんと相談してな。言うことよく聞くんやで」

 浜田くんに僕の辞令を伝えたのは、『ごっつええ感じ』の収録スタジオでした。ダウンタウン担当の引き継ぎという感じで静かに切り出したのですが、話を聞くなり、浜田くんは大声を出しました。

「なんでそんなこと言うんや、大﨑さん!  なあ、突然、何言うてんの」

「いや、だから田中さんが東京支社長で、支社長が東京のおまえらを担当するのは普通の話やん」

「聞いてへん!」

「アホちゃうか!」すさまじい怒鳴り合い

 苛立っていた僕は浜田くんの怒りに釣られてしまい、しまいには周りのスタッフが固まるくらいの、すさまじい怒鳴り合いになりました。

「そんなん突然言われたら、怒って当たり前やろ!」

「せやから今、言うてるやんけ!  俺はサラリーマンやし」

「サラリーマンがなんや、そんなん知らん!  大﨑さん、なんでやねん!」

「あんなあ、会社の人事や!」

「アホちゃうか!」

「アホはおまえやろ!」

「なんじゃこらぁ!」

 ほとんど子どもの喧嘩で、怒鳴り合っているうちに大阪人あるあるで、「はて、ところで俺ら二人は何が原因でもめとるのや」とわからなくなりました。

 浜田くんと僕がこれほどの怒鳴り合いをしたのは、最初で最後。あの時は心底腹が立ち、二人とも無茶苦茶に怒鳴りまくったけれど、今思うとこれもまたうれしいことでした。やっぱり僕にとってダウンタウンは特別なんです。

大﨑洋の「プロフィールのようなもの」

「最低やな!」松本人志は激怒した…〈3人目のダウンタウン〉が回想する1989年の絆大﨑洋『居場所。』(サンマーク出版)

 大阪府堺市の庶民の家に生まれる。二浪してなんとか潜り込んだ大学でサーフィンにはまり、「将来は海の近くで銭湯でもやるか」と考えていたが、なぜか吉本興業に入社。理由は「私服で通えて、休みも多そうだったから」。1980年に大阪本社から東京事務所に異動すると「漫才ブーム」がやってきて、毎日2〜3時間睡眠でフラフラに。さあ、ますます東京で大活躍したろ! っていう時に、会社から「大阪に戻ってこい」と言われてNSCの掃除係に…。窓際人生のスタート。

 そこで1期生のダウンタウンの漫才稽古を見て「なんやこいつら…」と衝撃を受け、頼まれてもいないのにマネージャーを買って出る。才能はぶっちぎり、でも光の当たらないダウンタウンのために『4時ですよ〜だ』(毎日放送)を自らプロデューサーになって仕掛けると、これが大ヒット! さあ、浜田、松本と東京進出! というタイミングで「お前だけ大阪に残れ」と再び左遷人事。「人生、思うようにいかんもんやなあ」と落ち込みながらも、「まあ、しゃーない」と切り替えて、若手芸人たちの場づくりに奔走。

 その後、なんとか東京に行って、再びダウンタウンの大躍進を牽引。松本人志の『遺書』、浜田雅功の『WOW WAR TONIGHT』が空前の大ヒットとなる中、社内外の誰が味方で誰が敵かもわからない壮絶な日々を送る。2009年には社長に就任。60年間上場していた吉本興業を非上場にしたり、芸人の不祥事に対応したり、2019年に会長になった直後に「闇営業問題」が起きて世間からたくさんお叱りを受けたり。子供の頃から、

「大﨑は、わけわからんやつや。何考えてるかわからへん」

 と言われて今に至るので、何を考えているのか少しだけお伝えしようと思って本を書いてみました。好きなものは、銭湯と豆腐とアジアのちょっと怪しげな街の雑踏。知り合いは多いですが、友だちは少ないです。お酒は飲めません。タバコはやめられません。苦手なものは「お化け」です。