「共通点の多さ」が友だちの条件?

「最低やな!」松本人志は激怒した…〈3人目のダウンタウン〉が回想する1989年の絆大﨑 洋

 友だちになるきっかけは、人それぞれ。それなりにバラエティに富んでいると思いますが、「共通点が多い」というのがほとんどではないでしょうか。

・学校が同じ、クラスが同じ、クラブが同じという共通点

・年齢が同じ、住んでいる街が同じ、という共通点

 趣味が同じ、好きなミュージシャンが同じというのも、友だちになるきっかけです。

 僕の生まれ育った頃は、今よりうんと情報が少なくて何かとざっくりしていたから、「趣味が同じ」という場合も呑気なもんでした。

「おお、ロックが好きなのか、そんならオールマン・ブラザーズ・バンドはどや?えっ、好き?  気ぃが合うわあ。ほな、レコード貸すわ」

 この程度でたちまち親友のできあがりでした。

 ところが今は膨大な情報をもとに、あらゆるものがマニアックに細分化されています。

 仮に歴史オタク同士だとしても「大河ドラマの真田丸が大好き」という人と、「池波正太郎が書いた『真田太平記』の9巻にあるエピソードを語り尽くしたい」という人は、話が噛み合わないし、『戦国無双』のゲーマーとはさっぱりわかり合えないというややこしさです。

 そこにSNSが加わって、「こいつの本音は違うんじゃないか」とか「仲が良いと思っていた人に、裏アカで悪口を書かれた」なんて疑いや不安がとぐろを巻く。明るく「友だちをつくろう!」なんて、不可能なんじゃないかとすら思えてきます。

 ある時、高校生が集まるトークイベントで友だちについて聞かれた僕は、だからこう答えました。

「友だちなんか、無理してつくらなくてええやん」