大学ファンドが本来やるべきは
「リスクは大きく、組織は小さく」

 国によって運営される大学ファンドにできて、民間にはできない運用は何だろうか? 本来、そのような運用をするのでなければ公的ファンドの意味がないことは、前述の通りだ。

 究極的には、民間にできないような運用なるものは存在しないかもしれないのだが、あえて言うなら、「10兆円で目一杯リスクを取って、損が出ても平然としている」リスク負担能力を発揮するなら、公的なファンドとして存在する意義があるかもしれない。

 再び推察するに、グローバル債券とグローバル株式で運用を始めた人たちは、おそらく「オルタナティブ投資」にそこそこの資産を振り向けるつもりなのではないか。たぶん、資産の10%くらいを振り向けることを企んでいるのではないだろうか。実際、前出の「業務概況書」に描かれた、大学ファンドの基本ポートフォリオのイメージ図には、円グラフに十数パーセントほどの大きさで「オルタナティブ」と記されている。あくまでイメージであり、「実際の割合とは異なります」とあるが、「近からずとも遠からず」といったところだろう。

 一口にオルタナティブ投資と言っても、インフラ投資やプライベートエクイティ投資からヘッジファンド、商品ファンドまで範囲が広いが、「相場(主に株価)の変動にかかわらず利益が追求できるとの建前がある」「時価評価されにくいので気が楽」「実質手数料が高いので、運用業者が丁寧にアプローチして来て気分がいい」といった心理的(で下らない)メリットが運用部隊にはある。

 また、オルタナティブ運用を仕事にすることによって、それなりの人数のスタッフを抱える理由にもなる。

 実は「オルタナティブも、カモの元」なのだが、すぐには立ち上がらないだろうから今は大目に見よう。オルタナティブ投資やキャッシュポジションその他の部分の上限を10%と見積もって、それ以外の部分のポートフォリオの完成を急ぐべきだ。

 例えば「90%をグローバル株式」に投資するのはどうか。手段はインデックス運用100%でいい。

「9兆円も株式を持つのは怖い。大きな損が出たときの責任が持てない」というなら、そもそも10兆円が分不相応なのだ。5兆円なり、3兆円なり、枕を高くして眠ることができる金額にファンドを減額してもらえばいい。投資として無駄な資産を抱えてインカムゲインの中から助成金を出しつつ諸経費を賄おうなどという、非効率的で卑しいお金の持ち方をする必要は全くない。