60歳で難病の診断を受けた筆者が闘病生活を赤裸々につづる連載の第5回は、薬にまつわる紆余(うよ)曲折について。最初は薬が効く「ハネムーン期」を謳歌(おうか)するも、だんだんと薬が効かなくなり病気の進行にも苦しむように。服用薬の変遷と「当時の気持ちメモ」を振り返りながら、一大手術を決心した理由を明らかにする。(ジャーナリスト 原 英次郎)
薬がよく効いた数年、俺は高をくくっていた
パーキンソン病の治療は薬剤投与が中心だ。そこで今回は、薬の話をしたい。俺の場合は、「レポドパ(Lドパ)製剤」をいつ投与するか、その効きが悪くなってきたらどうするか。2段階で大きな決断が求められた。
2016年11月29日、順天堂医大のH先生からパーキンソン病の診断を受け、初めて薬を処方してもらった。最初に処方されたのは 「エフピーOD錠」と「ニュープロパッチ」の2種類だけ。しかも服用は朝食後の1回だけだった。エフピー錠は、脳内のドーパミンの分解を防ぐことによって、パーキンソン病の症状を改善する。ニュープロパッチは、脳のドーパミン受容体を刺激することによって、パーキンソン病の症状(手の震え、筋肉のこわばり、動作が遅い、姿勢が保持できない)を改善する。
“エース”であるLドパが登板していないのは、H先生が、俺のドーパミンがまだ結構つくられていると判断して、それをいかに有効活用するかに焦点を絞ったからだ。
振り返ってみれば、この当時はまだ、本当に俺がパーキンソン病なのか疑うときもあるほど、日常生活はスムーズだった。せいぜい、とても狭い場所をすり抜けるとき(テーブルの間隔がとても近いカフェとか)に多少ぐらつく感じがするくらいで、他人から見れば健常者と見分けがつかなかっただろう。
発病しても適切な薬を服用すれば、数年は薬が大変よく効く。この時期は、ハネムーン期と呼ばれる。俺もこの程度ならば、残りの人生20年くらい何とか愉快に暮らせるだろうと高をくくっていた。