パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも組織に頼らず、副業・独立・起業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
ユーグレナの出雲充社長との出会い
大学時代の起業サークルを通じて出会った経営者は挙げればきりがありませんが、特に刺激的だったのが、ユーグレナの代表取締役社長、出雲充さんです。
ユーグレナはミドリムシの研究・生産を行っている東証プライム市場に上場するバイオベンチャーで、ヘルスケア事業をはじめ、エネルギー・環境事業、バングラデシュの人たちを支援するソーシャルビジネスなどを手がけています。
出雲さんは、はじめてお会いした頃から応援してくださり、僕が「会いたい」と連絡すると必ず会ってくれて、キャリアについて相談にのってくれたり、ユーグレナを起業したときのことを教えてくれたりと、大きな刺激を受けました。
強いパッションからの創業
出雲さんがユーグレナを創業したのは、「世界から貧困や飢餓をなくしたい」という強いパッション(情熱)からでした。
東大に入り、とあるインターンシップでバングラデシュを訪れた出雲さんは、栄養失調に苦しむ子どもたちを目の当たりにして、栄養豊富な食材を見つけるべく生物学を学びはじめます。
そこで、ミドリムシ(別名:ユーグレナ)と出合ったのです。
堀江貴文さんの支援
東大卒業後、出雲さんは東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職しましたが、週末にミドリムシの研究を重ね、ついに起業に踏み切ります。
その後は収入が途絶え、資金が尽きかけたそうですが、当時ライブドアの社長だった堀江貴文さんによる支援や、伊藤忠商事との契約が決まったことなどから事業を立て直し、2012年に株式上場を果たすに至りました。
今ではミドリムシ由来のバイオジェット燃料で、飛行機を飛ばすところまできています。
起業を考えたら絶対に
忘れてはいけない1つのこと
このような起業家のエピソードが、大学生だった僕にとっては面白くて仕方がなかったのです。そして、「僕も何かやりたい」と思わずにはいられませんでした。
当時大学生だった僕は、まだ若くて社会が見えていないがゆえに「ひょっとしたら自分もできるかもしれない」という根拠のない自信を持つことができたのです。
この「ひょっとしたら」という考え方は、起業家精神の中枢をなす、非常に重要な考え方です。
起業家やその周りには情熱的な人が集まりますが、その熱は伝染します。まだ学生だった僕も、「起業したい!」と思わずにはいられなくなったのです。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。