京セラでは、そのような高い目標を掲げ続けたことから、会社が軌道に乗ってからも、私は真面目でストイックな「考え方」を貫きました。

 そのため、ジャーナリストなどから、「京セラはクレイジーだ」と中傷されるようになりました。また私が、「画期的な発明や発見をする人は、狂の世界に踏み込まなければならない」と発言した、その言葉尻をとらえて、京セラの京という字を、狂うの狂と読み替えて、「狂セラ」と揶揄したジャーナリストもいました。

世界一の会社をつくるために

 また、経営者の中にも、「おもしろおかしく経営をするのが、うちの会社の流儀です。稲盛さんの経営はあまりにストイックで厳し過ぎる。社員も、うちのようなおもしろおかしい会社のほうが居心地がいいと思う」と言う人もいました。

 そのような批判にも、私はあえて反論をしませんでした。それは、おもしろおかしく人生を生き、またおもしろおかしく経営をしたいという人が目指している会社と、私が目指している会社とはまったく異なっていたからです。

 私は、誰も知らない未踏のファインセラミックスの世界を開拓して、世界でナンバーワンの会社をつくることを目指していました。そのような会社は、おもしろおかしいというような考え方では、絶対に実現不可能なのです。辛酸をなめつつ苦難の道を歩き続ける、というような生き方を避けることはできないのです。

(本原稿は『経営――稲盛和夫、原点を語る』から一部抜粋したものです)