これは「内面は外見に引っ張られる」という現象の典型例であり、かつ「周りから求められるキャラクターに自分自身も無意識のうちに寄せていってしまう」という環境依存の例ともいえます。

上記の例からも、今後メタバース上で複数のアバターをまとって生きていく場合に、それぞれのアバターの外見的な特徴に引っ張られた新しい人格が形成されていく現象が起きてくると想像できます。

そして、もし外見的な身体と内面的な人格が不可分に結びついているとするならば、アバターの数だけ異なる人格が誕生していくという「マルチバース・マルチアバター・マルチ人格」という多重構造が作り出されていくでしょう。現在も私たちは学校・家庭・会社・サークルとそれぞれ微妙に人格を使い分けています。

会社の同僚と家族に見せる顔は違うでしょうし、何十年もの付き合いの幼馴染と最近知り合ったばかりの友達に見せる顔も違うはずです。ネット上でもInstagram・Twitter・TikTokで見せるキャラクターは微妙に違っている人が多いはずです。

こういった異なる環境では異なる人格を使い分けるという「分人主義」はメタバースによって間違いなく加速するでしょう。異なる世界で異なる外見を持ち異なる人格を形成する。そしてそれらが相互に影響を与えるわけではなく、併存するという状態が可能になります。

「なりたい自分で生きていく」世の中へ

ひところまで仕事とは、1つの会社に勤めて1つのオフィスに集い、首にはネクタイを締めて1日8時間も時間も拘束されるのが常識でした。ブラック企業が社会的非難を集めるまで、午後11時、午前0時まで大残業して終電で帰り、翌朝はラッシュアワーに揉まれて出勤する働き方が当たり前だったものです。YouTuberはそういう働き方・つまらない人生像を破壊的なまでに払拭しています。YouTuberは、YouTuberは、働くことに関する(1)時間の制約、(2)空間の制約を見事に吹っ飛ばしました。

同じような価値基準の転換はメタバースで進化します。

これからは時間・空間の制約だけでなく、(3)身体の制約からも人々は解放されます。「好きなことをやって生きていく」からさらに一歩進み、「なりたい自分で生きていく」という流れに変わるのです。

メタバースがあれば、もはや身体が自分である必要すらありません。見てくれが美男美女ではなく、背が低くて太っていたとしても、仮想空間ではイケメンにもスーパー美人にも変身できます。リアルな自分はパジャマ姿でも、メタバースの中ではスーツやドレス姿です。歌が下手でも、AIのサポートを受けてプロなみの歌声にボイスチェンジできます。