今でこそ成長軌道に乗っているものの、2014年から2015年にかけてはYouTubeに既存顧客を奪われるなど苦境にも陥った。エビリーでは、そこからいかにして事業を拡大させてきたのか。中川氏に聞いた。

動画の未来に可能性を感じ、2006年に個人で会社をスタート

中川氏が起業を志した背景には経営者だった父親の存在があるという。25歳の時に父の会社は倒産してしまったものの、起業への思い自体は揺らがなかった。

むしろ倒産した翌日にはすでに次の事業案を考え始めている父の様子を目にして、「周囲に迷惑をかけたのにそれはどうなのかと思いながらも、起業はそれほどまでに人にパワーを与えるものなのだと感じ、自分もそのような生き方をしたいと考えた」(中川氏)そうだ。

まずは33歳で起業することを目標に掲げ、EC向けのレコメンドエンジンを手掛けるシルバーエッグテクノロジーに初期メンバーとして参画した。

ITの領域を選んだのは今後大きく発展する可能性を秘めており、自身も関心が強かったからだ。同社でセールスやマーケティング、カスタマーサポートなど幅広い業務を担当したのち、中川氏は計画通り33歳になる年に会社を設立した。

なぜ創業時から動画に着目していたのか。理由は2つあるという。

1つはYouTubeの存在だ。中川氏が会社を立ち上げた2006年は、まさにGoogleがYouTubeを買収した年。YouTubeはその前年の2005年2月に誕生し、動画共有サービスとして急速な成長を遂げていた。

もう1つの理由はヤフーBBがモデムを無料配布していたことだ。国内のインターネットインフラが整備されていけば、動画の活用がさらに加速するかもしれない。動画の未来に可能性を感じたことに加え、中川氏自身が映像を好きだったこともあり、挑戦するドメインを動画に決めた。

「サービスを作っては壊す」を繰り返した果てに見つけた金脈

最初の数年間はフリーランスとしてウェブ制作の受託案件を通じて売上を確保しながら、そこで生まれた利益を投資して動画関連のサービスをいくつも開発した。

たとえば「ニコニコ動画」のような動画上にユーザーが任意でコメントを書き込めるサービスを作ってみたり、Flashベースの動画編集システムを作ってみたり。ただミルビィにたどり着くまでの数年間は「受託で稼いだお金を注ぎ込んで新しいサービスを作っては、失敗してやり直す」サイクルを何度も繰り返した。

そうした期間を経て、中川氏はようやく大きな金脈を見つける。企業の動画配信の土台を担う“汎用的なインフラとなるシステム”だ。