【否定派】

・「誰にも迷惑をかけていない」とは言い切れない。警備のために出動する警察の実質的な負担や、ヤンチャ系新成人の存在に委縮してしまう一般の新成人の精神的な負担について、正確に考えられていない。

・ド派手成人式は、日本古来の美の価値観を損なうものであり、従来の伝統に照らし合わせて不適切である。

・いわゆる「ヤンキー」発祥の文化を世界に誇れるはずがない。自重するべき。

市や事業者の発想転換が
新カルチャー誕生のきっかけに

「みやび」の世界的な評価や市長の姿勢もあってか、今回の北九州市成人式を単なる興味深い出来事でなく、カルチャー誕生の一幕として見る人も多い。ポップカルチャーと、ハイカルチャーとまでは言わないが、伝統的な美的感覚の対立の図式が確かにそこにはある。

 荒れる成人式ではかねてより、問題行動や事件によって世間の注目を集め、それによって承認欲求を満たす新成人たちが毎年後を絶たず、それによって全国の“荒れる成人式”が出来上がっていた。しかし、北九州市のように世間からポジティブ含みの反応が得られるなら、新成人は注目を集めて承認欲求を満たすために、必ずしも“荒れる”必要はない。

「カッコ悪いことで目立つのはやめよう」とする沖縄のムーブメントもあるし、ここ数年で“荒れる成人式”が大きく変わってきていることは確かで、今年の北九州市を踏まえて、この潮流はさらに一歩推し進められたように思う。

【訂正】記事初出時より以下のとおり訂正します。
2ページ4段落目:「さて、「派手で荒れる」と定評のあった北九州市で行われた成人式では、今年レッドカーペットをあしらったランウェイが用意され、その上を派手な袴や振袖を着た新成人の男女がのしのしと、あるいはしずしず歩き、一生に一度の晴れ姿をお披露目した。」→「さて、「派手で荒れる」と定評のあった北九州市で行われた成人式では、その式典会場近くで今年新成人が出場するファッションショーが民間のイベントとして催され、レッドカーペットをあしらったランウェイを、派手な袴や振袖を着た新成人の男女がのしのしと、あるいはしずしず歩き、一生に一度の晴れ姿をお披露目した。」
(2024年1月15日20:5  ダイヤモンド・ライフ編集部)