ダイハツ工業、ビッグモーター……
開発日程や金銭的ノルマが引き起こした悲劇

 これをノルマの問題に置き換えればどうなるか。

 どんなに現状を無視し、無謀なノルマを課されようと、下部組織はそれに従う義務があるのであろうか。

 歴史が教えてくれるのは、むしろ「その命令は間違っている」という幹部、中間管理職や現場長の有益性である。もし彭徳懐や劉少奇が止めなければ、あるいは彼らに正直に現状を報告する現場長がいなければ、中国は国として存在していなかったかもしれない。

 福島原発で、吉田所長が政府の命令に従って海水注入を止めていたら、人的被害はもちろん、日本の経済停滞は想像もできないほどであったかもしれない。それを「規定を守れ」というのは、全く間違った指摘である。

 むしろ指摘すべきは、たとえリーダーとして無能な首相が大声で叫ぼうが、現場が正しい判断と行動をした場合、それが違法性に問われない仕組みづくりをすべきというべきであろう。

 毛沢東が何を言おうと、「それは間違っている」と言って止められる仕組みがあれば、どうなっていたか。

 止めた彭徳懐や劉少奇が悲惨な最期を迎えず、むしろ救国の政治家として存在し続けていたら、その後の中国はあるいは緩やかかもしれないが、真の民主化に向かっていたかもしれない。

 昨今日本では、ダイハツ工業やビッグモーターによる「悪しきノルマ」の問題が起きた。ダイハツの場合は無理な開発日程などであり、ビッグモーターは車体販売や保険などに関わるまさに金銭的なノルマである。

 ダイハツでは、現場が無茶な開発日程を中間管理職に指摘すると、中間管理職は「なぜできないのか、どうすればできるのか」と部下を問い詰めた。目標そのものの修正ではなく、あくまで目標を死守させるそのための工夫を要求したという。つまりこの場合には、中間管理職は誤ったノルマの是正機能は果たせなかった。