「密植」や無数の土法高炉
非合理な政策に苦しめられた人々

 しかし、上には上がいる。

 ノルマによって史上最悪といわれる惨劇をもたらしたのは、中国共産党による1958年から4年間にわたって行われた「大躍進政策」であろう。餓死や拷問による死者は2000万人〜4500万人といわれる。

 この天下の愚策を主導したのは、毛沢東だ。毛沢東は、1957年「15年でイギリスを追い越す」と豪語したが(当時イギリスは世界第2位の経済大国)、中国国民には迷惑な話であった。

 当時の中国は近代化には程遠い工業の遅れた農業国で、膨大な数の国民に食料を供給することが精いっぱい。いきなり「西側先進国を追い越すぞ!」と言ったところで、準備が整っていなかった。

 もちろん、経済目標を掲げるのは悪い話ではない。が、それは合理的な計算と国民の理解が大前提であり、国家が現場無視のノルマを課して、ノルマに達しなければ食料をやらない、いじめる、挙げ句の果てに拷問するなど、論外であった。

 どれだけ非合理的だったか、2つほど例を挙げる。

 まず農業の生産性を上げるために集団農場を作った。個人の土地所有など認めない。ここで共同作業をさせるのだが、例えば、「密植」をやった。植物は密集して植えれば栄養を奪い合って育ちが悪くなることぐらい小学生でも理解できるが、この時の中国は度を越した密植をやって、数だけは多く植えた。もちろん収穫は散々であった。

 あるいは鉄鋼を増やせと命じ、農村の田畑に無数の土法高炉ができた。

 高さ3〜4メートル。耐火粘土やレンガでできた高炉による古代製鉄法の爆発的普及で、鉄鋼の生産は確かに増えた。が、生産された鉄鋼は、近代化の用途に使える代物ではなかった。

 それどころか、高炉に入れる鉄屑として鋤や鍬まで炉に投げ込まれ、いっそう農作業が捗らなくなった。

 現場担当者たちは、中央政府や地方政府から命じられるノルマでとてつもないプレッシャーにさらされ、使えない鉄鋼をますます増産し、農民が飢え死にすることを承知で種籾まで徴発した。

 ノルマ達成のために二週間昼夜兼行の地獄のような労働が強いられ、品質低下は無論、現場での事故も多発した。
 
 食料不足は深刻を通り越して数々の悲劇を生んだ。地域によっては、家の漆喰まで食べた。そして、食料を調達するために子どもを売ることも現実に起きていた。