「コンピュータ」(computer)という言葉は、もともと19世紀から20世紀前半まで「計算をする人」、つまり天文観測や測量をする人間の職業を意味していたという。人間がそろばん、歯車式の計算機、計算尺などのツールを使って計算していた時代から、ナチス・ドイツの暗号を解読して連合国を勝利に導いたことで名高い数学者アラン・チューリングが1936年に「チューリングマシン」というコンピュータの原型となる数学モデルを考案し、これがコンピュータの原理といわれる。

 第2次世界大戦末期、ロバート・オッペンハイマーとともに原子爆弾開発「マンハッタン計画」を主導した数学者ジョン・フォン・ノイマンは、「ノイマン型コンピュータ」ともいわれる、コンピュータの動作原理を考案した。なお、ノイマンは、ゲーム理論や天気予報モデルを開発したことでも知られる。

 こうした前史を経て、その後コンピュータは長足の進歩を遂げ、1970年代にPCの登場と世界的な普及によって、コンピュータは身近にして、当たり前のツールになった。それゆえ、いまさら「コンピュータとは何か」という存在理由、「コンピュータで何を実現したいのか」という根源的本質を問う人は稀だろう。

 しかしその一方で、その発展は著しく、多岐にわたって専門分化を日々遂げており、むろん昨今いわれる「IT人材」もすべてをもれなく知り尽くしているわけではない。かくして、コンピュータは身近だが、遠い存在となり、いまや実体の見えにくい“巨象”と化している。

 象徴的な例を挙げれば、スーパーコンピュータの事業仕分けにおいて、某国会議員の「2位じゃダメですか」という、おのれの不勉強を暴露するような質問に対して、問われた官僚たちも説得力のある回答ができず、情けない姿を国民の前にさらすことになった。

 他人事ではない。もはやキャッチアップが追い付かず、IT部門やコンサルタントが何を話しているのか理解できず、現場に任せ切りになっているマネジャーは少なくない。過去を振り返っても全社変革運動が一筋縄ではいかないが、とりわけDXの場合、トップはもとよりミドルマネジメントのITリテラシーのばらつきが足を引っ張っているのは想像にかたくない。

 とはいえ、そういう現状を一気に変えることは現実的ではない。それでも、少なくとも「コンピュータは何を可能せしめるのか」「自分たちはコンピュータで何がしたいのか」について自分の言葉で語れる必要はあるだろう。

 ギリシャ神話の男神プロメテウスはゼウスの怒りを顧みず、天界から火を盗み、人類に与えた。火という道具を手に入れた人類がその後繁栄を極めたように、人間はコンピュータという道具を使いこなすことによってさらに進化を遂げる。

 そこで、「コンピュータとは何か」についていま一度考え直してみたい。その講師として、世界最高性能を誇るスパコン「富岳」の総責任者である、理化学研究所計算科学研究センター センター長の松岡聡氏をお招きし、第一人者の知見と経験を聞く。

スパコンはファミリーカーと
スーパーカーのハイブリッド

編集部(以下青文字):2021年に稼働が本格的に始まった「富岳」は、スパコン性能ランキング「TOP500」など、世界の主要なランキングで常に上位となり、その性能の高さが世界的に評価されています。当初よりその研究開発に携わってきた松岡センター長は、「富岳」の性能を高めるだけでなく、活用のすそ野を広げる重要性を訴えてきました。「富岳」はいかなる性能を持ち合わせたスパコンなのか、教えてください。

スパコンってなんだろう理化学研究所 計算科学研究センター(R-CCS) センター長
東京工業大学情報理工学院 特定教授
松岡 聡
SATOSHI MATSUOKA
1986年、東京大学理学部情報科学科卒業。1989年、同大学大学院博士課程、1993年に理学博士。東京大学情報科学科助手、同大学情報工学専攻講師、東京工業大学情報理工学研究科数理・計算科学専攻助教授、東京工業大学学術国際情報センター教授、国立情報学研究所客員教授などを経て、2018年より現職。専門は高性能計算機システム。スパコンTSUBAMEシリーズの研究開発に携わり、省電力を含む数々の指標で世界のトップランクを獲得するとともに、超並列計算機の並列アルゴリズムやプログラミング、耐故障性、省電力化、ビッグデータやAIとの融合などの基礎研究に携わる。スーパーコンピュータ「富岳」総責任者。米国計算機学会ACM フェロー(2009年)、ACM Gordon Bell賞(2011年、2021年)、文部科学大臣表彰(2013年)。2014年、スパコン分野の最高峰賞であるIEEE Sidney Fernbach賞を日本人としては初めて受賞。そのほか、2018年にACMが主催するHPDC国際学会のキャリア賞、2019年にはSCAsia 2019にてAsia HPC Leadership Awardを受賞。2021年情報処理学会功績賞、2022年紫綬褒章、C&C賞、スーパーコンピュータの最高峰業績賞である「クレイ賞」受賞。情報処理学会フェロー。主な著書に『スパコン「富岳」の挑戦 GAFAなき日本の戦い方』(文春新書、2022年)がある。

松岡(以下略):コンピュータとは、人間が行っていた計算を機械で高速化させたもので、その速い演算能力を使って、情報処理やシミュレーション、通信などができるようになりました。そしてスパコンは、通常のコンピュータではできないような規模の計算を、さらに高速化させたものです。
 車に例えると、普通のコンピュータがファミリーカーだとするなら、スパコンはまさしくスーパーカーといえるのですが、両者の機能を兼ね備えたハイブリッドといえます。一般ユーザー向けのファミリーカーならではの使い勝手のよさを失うことなく、従来の数千万倍、数億倍というスーパーカー並みの計算速度を備えています。

 ちなみに、「富岳」の計算速度は、毎秒44京2010兆回です。極端な例えを用いると、日本人全員で24時間365日休まずに約100年かけないと処理できない計算を、「富岳」ならば1秒でできるのです。

 こんなに速く計算できるのには2つ理由があります。一つは、コンピュータの頭脳に当たるCPU(中央演算処理装置)が大量に組み込まれているからです。CPUの中には、スマートフォンより数倍から10倍以上も速く演算処理を担う「コア」という回路があり、「富岳」のCPUには1個当たり48個もコアが載っています。このコアの多さが、高速で計算できる理由の一つです。これほどの高性能のCPUが、「富岳」には約16万個も入っています。

 もう一つは、同時に計算する能力が極めて高いからです。スパコンの運用は、会社経営に似ています。「従業員」であるコアを上手に管理し、効率的に働かせる仕組みがないと、従業員が多いだけでは意味がありません。そこで複数のコアを光ケーブルなどでつなげ、同時に作業を進める並列プログラミングという仕組みで、大量のデータを圧倒的な速さで処理していくのです。