三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第72回は、「子ども扱いしない」投資教育のススメだ。
人類は投資に向いてない?
主人公・財前孝史の祖父が道塾学園創業家の藤田慎司・美雪の兄妹を自宅に招く。夕食の席上、若くして投資を手掛ける慎司と、投資を忌み嫌う財前の父が口論になる。慎司は藤田家では投資の早期教育が伝統になっていると語る。
投資教育をいつから始めるべきか。財前の父のように「社会に出る前の子どもにマネーゲームを教え込むなんて」という否定派から、「自己責任の時代だから常識として早く学んだ方が良い」という肯定派まで、様々な意見があるだろう。
私の定番の答えは「自分の責任でお金を使うようになったら『投資程度のこと』はさっさと教えた方が良い」というものだ。理由は単純で、その方がクリアに社会を理解できるからだ。
市場経済を土台とする社会では、社会の一員として働き、生活し、より豊かな社会を築いていくプロセスにおいて「投資=投資すること・投資されること」は重要な役割を担っている。自分でお金の使い道を選ぶことは、大なり小なり、その渦の中に参加する意味を持つ。
そして、このコラムの連載初回に書いたように、人類は投資やお金に不慣れだ。市場経済というゲームに参加するなら、トリッキーで厄介な存在であるお金やマーケットとうまく付き合えるよう、全体像とルールを早めに知った方が良い。
大事なのは、上に「投資程度のこと」と書いたような力点の置き方ではないだろうか。経済や社会について自分なりに考えられるようになるのが優先課題であって、投資はその中のひとつのピースでしかない。
「投資なんかより先に知るべきことがある」と力まなくても、社会の成り立ちの全体像を過不足なく伝えれば良いだけだ。現代社会において投資はそれなりに重要なピースなので、無理に避けたり小さく扱ったりするより、等身大で説明した方が理解は深まる。
うさん臭い投資話への「嗅覚」
このたび文庫化された拙著『おカネの教室』はもともと家庭内の回覧読み物だった。連載開始は2010年。長女が10歳になり、お小遣いを自分で管理するようになった頃だった。初めは長女ひとりが読者で、のちに次女、三女も読むようになった。
娘たちに伝えたかったのは「なぜ私たちの社会が今のような形になっているのか」だった。タイトルから、お金や投資の仕組みを易しく解説した本と思われがちなのだが、ノウハウの類いはほぼ含んでいないし、「正解」が書いてあるわけでもない。
そもそも経済や社会についてひとつの「正解」などない。物語を楽しみながら、登場人物たちの対話と並走して、自分自身で「お金とは、経済とは、社会とは何だろう」と考えてほしかった。
我が家の娘たちを見ると少々心もとない気もするが、子どもたちは大人が思う以上に自分たちの考えを持っている。
投資のマネーゲーム的な側面にばかり関心が向かったら、と心配する向きもあるが、「世の中うまい話などない」という現実とセットで教えれば、胡散臭い投資話への嗅覚も育つ。成人年齢が18歳に下がった今、高校生を子ども扱いするのは妙な話だ。
当たり前だが、人生には投資より大事なことはいっぱいある。もっと大事なことに頭を使うためにも「投資程度のこと」はさっさと履修してしまった方が良いと私は考える。