例えばタバコであれば、同じ銘柄のタバコを吸っている俳優の映画が頭に思い浮かんだりする。個性の数だけモノが存在できて、ニッチで豊かな経済圏を構築できる。車であれば、機能に優れたトヨタ車よりブランドとしての意味合いを感じるフェラーリやランボルギーニのほうが数倍の価格で売れる。

「役に立つ」より「意味がある」。これは今の時代を生きるビジネスパーソンの合言葉となった。僕はここからさらに進み「意味がある」から「意味すらない」へのパラダイムシフトが今後起きると予想している。コルクの佐渡島庸平さんと一緒にサウナに入っていたら、佐渡島さんが面白いことを言っていた。

模倣しながら人間は学ぶ
それが新しい創造を生む

 グラフを思い浮かべてほしい。横軸のプラス方向は「曖昧」、マイナス方向は「絶対」。縦軸のプラス方向は「創造」、マイナス方向は「模倣」にする。

 スポーツでも勉強でも、最初はとても曖昧で模倣度が低いところから始まる。お手本となる先生や教科書の模倣をすると、少しずつ上達して模倣度が高くなる。「曖昧」とは逆ベクトルの「絶対」とは何か。「絶対」とはみんなが理解できるもの。

「絶対」の象徴はお金だ。「絶対」×「模倣」はビジネスで勝つという世界観。

 そしてある程度競争に勝つと、人は「創造」へと向かう。絶対的であり、なおかつ創造的。これはどういう状態か。「ご飯がおいしい」とか「サウナに入ると気持ちいい」といったように、みんなが共感できる感情や感覚が「絶対」×「創造」の領域だ。少年ジャンプのようなエンタメ。ブランドでいうとナイキとかアップルのようにみんなが理解できる絶対性の中で創造的なポジションを取る。

書影『かすり傷も痛かった』『かすり傷も痛かった』(幻冬舎)
箕輪厚介 著

 つまり人は誰しも曖昧な状態で模倣しながら学習し、成長する。「絶対」×「模倣」に到達すると、人は次に「絶対」×「創造」に向かう。そして最終的に「創造」×「曖昧」に行き着くのだ。

「絶対」×「創造」をエンタメやブランド。「創造」×「曖昧」をアートだとイメージするとわかりやすい。

 コンテンポラリーアートの世界では「無」によって「無限の有」を想像させる作品がある。

 AIが人間の機能性をほとんど代替するようになると、人間のやるべきことは「役に立つ」から「意味がある」に移り、さらに「意味すらない」ものへ変わっていくのだ。