暗黙の「謎ルール」と
「生きづらい社会」

 第一に、新幹線内でノートパソコンを使って仕事をするサラリーマンが増えたことだ。パソコンを前の背もたれギリギリまでもたせかけていると、座席が倒れてきたときパソコンにゴツンと当たることがある。

書影『疑う力 「常識」の99%はウソである』『疑う力 「常識」の99%はウソである』(宝島SUGOI文庫)
堀江貴文 著

 第二に、新幹線の車内アナウンスが「座席を倒すときには、まわりのお客様にご配慮ください」という余計な呼びかけをしていることだ。

 第三には、SNSの影響がある。僕みたいに「座席を倒そうが倒すまいが個人の自由だ」と思っている人間がサイレント・マジョリティなのに、一部のノイジー・マイノリティが「黙って座席を倒してくる失礼な奴がいた」などと怒って文句を書く。

 するとそいつの友人知人やフォロワーが「自分がやっていたことはマナー違反だったのか」と誤解して、知らない人間に突然声をかけ始めるのだ。

 行き先を告げると、「ルートはどういたしましょうか」といちいちこちらに確認してくるタクシー運転手もいる。最短ルートで目的地まで客を連れて行くのが彼らの仕事だろうに、なぜ僕が道順までレクチャーしてやらなきゃならないのだろう。住所を口頭で確認しているくせに、カーナビの操作をミスって全然違う場所で降ろされたこともある。

 あるとき、大阪で行き先の住所を告げると、個人タクシーの運転手が「覚えられへん」とキレ始め、警察に110番通報までされたことがあった(駆けつけた警察官から「このタクシーヤバいんで、他に乗ったほうがいいですよ」と言われた)。

 こんなケースは論外だとしても、日本に残存する「非効率マナー」の、いかに多いことか。

 座席を後ろに倒すくらいのことで、いちいち見知らぬ人間に話しかけるのが「礼儀」だと信じこむ人たち。そんなの礼儀でも何でもなく、「自己中」人間のリスクヘッジにすぎない。

 タクシー運転手のルート確認にしても、サラリーマンのネクタイにしても同様である。そんなつまらないリスクヘッジのために、暗黙の「謎ルール」をどんどん厳しくしていけば、その先に待ち受けているのは閉塞感に満ちた、生きづらい社会だ。