一応、カフェやアカデミック・コモンズといった、学生たちが自由に何かをするためのスペースが用意されてはいます。でも、今の大学生は本当に忙しくて、学内でコミュニティを作る時間がそもそもありません。昔の大学生と違って、大学にはよく来ているし、授業にもきちんと出席するのですが、とにかく現代の日本の大学生は忙しい。

吉見 わかりました。

――えっ、何がわかったんですか。

吉見 どうすれば学生たちにとって大学が役に立つものになるか、ということです。

 まず、キャンパスから溜まり場になる場所が消えていっていることを憂うなら、みんなで大学の外に出て行けばいいではないですか。どうして大学のキャンパス内部、それから教室にとどまることにこだわるのですか。

 私は、教室やキャンパスよりも都市の路上のほうが、大学生たちが学べることはよほど多いと思います。それから、学生たちの忙しさを軽減するには、科目の数を圧倒的に減らさなくてはなりません。とにかく、日本の大学は科目の数が多すぎるのです。

『大学は何処へ』にも書きましたが、学生たちの「忙しさ」を解決するためには、学生が履修する授業の科目数を今の半分以下に減らさなければならないということです。今、大学1年生だったら1週間の履修科目数は10から14科目くらいでしょう?

――1年生だったら、20科目ぐらい取っている人もいます。今の若者はコスパ意識が高いし、そもそもまじめなので。

吉見 世界のどこにも、大学でそんなにたくさんの科目を同時に履修させる国はありません。明治以来、知識の効率的な注入を軸にカリキュラムを設計してきたから、その習慣から抜け出せていないのです。

 学生の学びの実質を軸にするなら、1学期の履修科目数は6科目を超えるべきではありません。半分どころか、現在の3分の1です。それを少人数でする仕組みにしていけば、今よりはるかに実質的な教育ができます。

 大学教育はそもそも、多くの日本の大学で制度化されているような広く浅い学びではないことを、改めて確認するべきです。教師と学生の密な関係を築き、知的トレーニングをしていくには、1学期につき1科目を4単位以上にし、それぞれの科目で1週間に2~3回、授業が開講される。

 現在のゼミのような科目が並ぶ仕組みにすべきなのです。そうすれば、学生は集中的に深く学ばざるをえなくなる。同じ教員と学生がともにする時間は現在の3倍近くになります。こういうカリキュラムになると、大学の「科目履修」の意味が大きく変わりますね。カリキュラムの構造化を、形式的に示すのではなく実質的に組織することになるでしょう。