衝撃的だった「空白の1日」
球史を揺るがした「江川事件」

 田淵さんがトレードで移籍した1979年は、同時に小林繁さんが巨人からトレードで加入したシーズンでもありました。そしてこれにかかわるのが、私と巨人との関係を語る上で切り離せない江川卓という投手です。

 プロ野球の歴史的な事件となった「空白の1日」を簡単に振り返っておきます。作新学院で怪物投手として全国に名をとどろかせた江川は1973年秋のドラフトで阪急からドラフト1位指名を受けましたが、これを拒否。後に本人から直接聞いた話によると、「仮に巨人に指名されても行かなかったと思う」と言います。東京六大学の早慶戦への憧れがあり、早稲田か慶応に進学したかったのが理由です。

 ところが、ここからまた紆余曲折あり、受験に失敗する形で法政大に進学。六大学野球でも数々の記録をつくり1977年秋のドラフトではクラウンライターライオンズ(西武ライオンズの前身)から1位指名を受けますが、またもや意中の球団ではなく入団を拒否。1978年のドラフト前々日の11月20日で独占交渉権が切れると、何と翌日の21日に巨人と電撃的に入団契約を結び、入団会見まで行ったのです。

 世間が騒然とする中で巨人がボイコットした22日のドラフトでは阪神、南海、近鉄、ロッテの4球団が江川を1位で指名し、阪神が交渉権を獲得しました。彼とは同い年で、同じ関東出身です。阪神で一緒に野球ができれば楽しいだろうなとは思いましたが、入団しないというのは若造ながら理解していました。阪神は巨人の長嶋さんの永久欠番へのあてつけのように、江川に背番号3を用意したのも驚きでした。

 国会まで巻き込んでの騒動は結局、翌年の春季キャンプ前日の1月31日に巨人の小林繁さんと江川とのトレードで決着。当時の阪神の球団社長は小津正次郎さんで、その剛腕ぶりに「オヅの魔法使い」の異名をとる人物でした。裏でどんなやりとりがあったかは、分かりませんが、トレードで巨人のエース格の小林さんが阪神に来るというのですから仰天しました。