「阪神には歴史はあるが伝統はない」
小林繁さんのひとことに発奮

 小林さんは途中合流した高知・安芸の春季キャンプで、「阪神には歴史はあるが伝統はない」と初対面の選手たちを前に口にしたのです。私は自分だけでなく先輩達までバカにされたように思い、殴りかかりたいほどの怒りがこみ上げました。後で振り返ると、自身とともに、新しいチームメイトを奮い立たせるための言葉だったのでしょう。

 でも、当時の私は球界の盟主として君臨していた巨人から移籍してきた人の言葉に過剰に反応したのです。世間の風潮も江川がヒール役で、小林さんが悲劇のヒーローという感じでした。私は黒船襲来のように感じていました。江夏さんに続いて田淵さんまで退団し、小林繁という男に阪神を乗っ取られるような気持ちになったのです。

 実際にその1979年のシーズンで私が一番意識したのは、巨人に入団した江川卓ではなく、味方の小林さんでした。チームメイトなのでライバルではないのですが、田淵さんが抜けた阪神を守るため、自分が新しい大黒柱になるためにも、小林さんに負けられないと思いました。年齢は3つ下でしたが、生え抜きの意地がありました。小林さんのあの言葉への反発心があったからこそ、本塁打王となる48本のホームランにつながり、中心打者として成長できたのです。

試合前におにぎりを2つ
食べていたエース小林

書影『虎と巨人』(中央公論新社)『虎と巨人』(中央公論新社)
掛布雅之 著

 1979年の小林さんの鬼気迫るマウンドでの姿が今でも鮮明に覚えています。巨人戦は3度の完封を含む8連勝をマークするなど、22勝9敗、防御率2.89で2度目の沢村賞を獲得しました。当時の小林さんはチームの勝利より、男のプライドをかけてのマウンドだったのではないでしょうか。ピンチの場面でもチームメイトを寄せつけないオーラを放っていました。「カケ、大丈夫だ。マウンドは俺が守るから、ピンチになっても来ないでいいから」と言うのです。

 でも、試合後はみんなとお酒を飲んだり、麻雀をしたりと、プライベートではチームに溶け込もうと努力していました。それと、思い出すのが小林さん専用の「おむすび」です。「試合前におむすびを2つぐらい食べる」と言って、銀紙みたいなものに包んだものを球団に用意してもらっていました。毎試合、完投が期待される投手で、おにぎりがパワーの源だったのでしょう。