選手の状態、疲労、ゲーム展開、相手の状態、色んなものが見えなくなっていました。決勝は8-10で負けました。
新聞で読んだ智之のコメントが忘れられません。「早く試合が終わらないかなと思っていた」「よく覚えてない」。私の、指導者としての資質が問われるひと言でした。
菅野が発していたサインに
気づけなかった後悔からの変化
私はいま、「選手は判断、監督は決断」とよく言います。その決断が、当時の私はできなかった。
夏の神奈川大会。7試合を投げきる投手なんていません。わかっています。他の投手も育ててきました。それなのに、自分の思い、欲、いろんな考えが、頭のなかで入り交じり、「智之を投げさせるのが最善」だと思ってしまいました。
私の思いが強すぎた。思いが強ければ、目標に到達できる、獲得できる、達成できるとか言いますが、強すぎてはだめなんだ、と。何でも過ぎてしまうと、そこに、無理が出ます。
今でも悔いが残ります。智之に申し訳ない。一生、ずっと心に刺さったままの1試合です。

朝日新聞スポーツ部 著
この年以降は、誰か1人に頼るチームは作らないように心がけました。春の神奈川県大会や関東大会では、エースの投球回数は10イニング以内に抑えたり、投手を6、7人ベンチ入りさせたり、常に、夏に複数投手で試合をするための準備をするようになりました。
それと、思いを強くしすぎない。心も体も負担をかけすぎない。選手の心の中までは入れませんが、試合で力を発揮するために状態は細かく観察するようになりました。グラウンドの中だけでは分かりません。だから、授業や学校での生活も大切なんです。
自分に言い聞かせています。「選手に『見逃すな』と言う以上、自分自身も『見逃すな』」と。成長させるには見守ることが必要かもしれませんが、選手が出す何か違ったサインを、私たちは見逃してはいけない。あのとき、智之もサインを発していたのかもしれない。だから、大きな、失敗なんです。