『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の著者ヤニス・バルファキス元ギリシャ財務相による連載。今回のテーマは、パレスチナ・イスラエル問題です。1919~22年に起きたギリシャ=トルコ(希土)戦争後の住民交換、そして南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の1996年に設立された真実和解委員会に学ぶ教訓とは?
パレスチナの国家承認は道徳的に正しいことであり、中東における公正な平和を実現する唯一の手段だ。パレスチナ人が完全な政治的権利を持つべきだと次期イスラエル政権に認識させるには、スペイン、アイルランド、ノルウェーの例に倣って、正式な承認を行う国々が次々に現われることが必要だ。
ただし、そうした相次ぐ承認が単にお飾りとしてのパフォーマンスに堕してしまうことを防ぐために、支援者が肝に銘じるべきことがある。つまり、パレスチナ国家はイスラエルの鏡像であってはならない。そして、ユダヤ人をパレスチナ人から厳格に分離する手段であってはならない。
当面のイスラエル政府には公正な平和について議論する姿勢が見られず、一方でパレスチナ側にもその人々を代表する民主的に正統な指導部が存在しないという悲しむべき事実はさておき、ここでは単に、次のような問い掛けを思い浮かべてみよう。「民族、宗教、言語にかかわらず、(ヨルダン)川から(地中)海に至る地域に住む全ての人にとっての公正な結論への信頼を醸成するには、その結論はどのような原理を具現化しなければならないのだろうか」。
「大イスラエル(Greater Israel)」がこれまで常に公正さと相いれなかった理由は、イスラエルが総人口の20%を占めるパレスチナ系市民に完全な平等を与えないからだ。その意図は、(単なる「イスラエル国家」ではなく)純粋なユダヤ人国家として自らを維持することにある。単にイスラエルの隣にパレスチナ人国家を樹立しても、この問題は全く解決できない。
また、仮にパレスチナ国家が純粋なパレスチナ・アラブ人国家として樹立された場合、ヨルダン川西岸地域と東エルサレムに(違法に)入植しているユダヤ人に何が起きるだろうか。検討されている構想の一つが、「住民交換」である。だが、これでは1919年から1922年にかけての(希土)戦争後のギリシャ人とトルコ人の悲劇的な住民交換の再現になってしまう。
私たちは理性を失くしてしまったのか。民族浄化という行為から1世紀が経過しても、住民交換の対象となった人々の子孫は、いまだに祖国を失った嘆きを抱えている。平和と正義という大義名分で、再び大勢の人間が故郷を追われるという大惨事を招くことが本当に望ましいのだろうか。