永田町のご意見番で歯に衣着せぬ物言いから「イブキング」の異名を持つ元衆議院議員の伊吹文明氏。財務大臣や文科大臣、自民党幹事長、衆院議長などを歴任し、志帥会(現二階派)会長として派閥を率いた。そんな伊吹氏に派閥解散の是非を問うと、岸田首相の政治姿勢に苦言を呈した。(構成/ライター 田之上 信)
派閥解消は「大衆迎合」か「政治改革」か
――政治経験が豊富な伊吹さんは、渡辺恒雄氏の『自民党と派閥』をどのように読まれましたか。
時代小説みたいで、テレビドラマにしたらおもしろいと感じましたね。そのとき徳川家康はどうだったとか、あのとき織田信長はこういう扱いを明智光秀にしておけばよかったけれども、やっぱり自己主張の強い人は高転びに転ぶっていう失敗があるんだなとか、そういうことを考えながら読むと、よりおもしろさが増しますね。
今は、渡辺さんのような記者はいないし、また政治家ももうこの本に出てくるような政治家はいなくなった。時代が大きく変わったということではないでしょうか。
――歴史と重ねながら読むという発想はありませんでした。
当時の派閥はいいところも多くあった。何ごともそうなんだけど、あらゆることは長所と短所が必ずあります。だから、それを使うものの謙虚さとか、自己抑制によって、短所を抑えながら、長所を引き出さなければいけない。しかし、権力に目がくらんだり、そのときの損得だとかを考えたりすると、自己抑制ができないから、失敗する。それで制度が悪いっていうことになってしまうわけです。
――自己抑制が効かなくなった派閥の中で金権政治が生まれ、結果として中選挙区制から小選挙区制へ移行することになりました。
当時の自民党は派閥合衆国で、各々の派閥の合従連衡によって、大統領つまり総裁が決まっていました。合従連衡が少しでも崩れると、総裁の地位は崩れる。だから総裁は党に細かな配慮をしながら物事を決めていたわけです。
そして派閥の領袖は合衆国の意思決定の中で、大きな力を持ちたいと思うから、派閥を大きくしようとする。そのためにはやはり資金が必要ということだった。
今のような派閥の資金パーティーなんてありませんから。各派の会長が、当時の政治資金規正法のもとで、お金を集めて、集金力のある人が有力政治家っていう感じでしたからね。
当時は10億円単位のお金を派閥の領袖が集めておられた。これで派を運営してくれと言ってお金を渡す。
それで派閥の会長は無理をするので、リクルート事件だとか、ゼネコン汚職事件だとか、東京佐川急便事件などが起きて、金権政治批判が起こったわけです。
なぜ派閥の会長は無理をしてお金を集めるかというと、当時は竹下派、宮沢派、安倍派、渡辺派(旧中曽根派)、河本派の5つの派閥があった。5つの派閥があるのは中選挙区だから。金権政治は選挙制度が悪いと中選挙区が批判の的になりました。
だから中選挙区をやめて、1つの議席しかない小選挙区にすれば、派閥はなくなる。党がみんなお世話をするんだ。それで政策本位で与野党は1つの議席を巡って争えば、きれいな政策本位の選挙になるんじゃないかというのが、あのときのユートピアのような考え方です。
中選挙区も例に漏れず、長所と短所があるし、小選挙区も長所と短所があります。小選挙区でば1つの議席の公認権を持つ者、政党交付金の配分費を持つ者の力が強くなりすぎる。総裁独裁の制度になるんだという反対がありました。
今とよく似た状況なんだけども、世論は小選挙区にしろと。当時も今と同じで、世論に反対しづらい雰囲気だった。小選挙区制に反対すると、テレビのワイドショーや新聞などメディアでめちゃめちゃに叩かれる。
――今回の派閥解消なども大衆迎合とかポピュリズムだという見方があります。伊吹さんはどうお考えですか。