到着したラハイナは、19世紀にハワイ王国の首都があり、捕鯨船の停泊する港町として栄えた、日本で言えば、京都のような場所である。そのラハイナが焼失した。マウイの人々にとっての心理的ダメージは計り知れない。
ラハイナの港からは、マウイ郡に属するラナイ島やモロカイ島への連絡船もあったが、大火災で途絶えた。マウイ島の行政、医療、そして商業施設は、これら近隣諸島の住民にとっても大切な生活の一部だった。徐々に再開は進んでいるものの、報道されている以上に、周辺地域への影響も大きい。
一方、極めてわずかながら、奇跡的に焼け残った場所もある。ラハイナ海側のフロント・ストリート沿いのオールド・ラハイナ・ルアウ。1986年に開業した、ハワイアン音楽とフラダンスのショーが開催される施設である。フラダンスは、マウイ郡に属するモロカイ島を発祥の地とする説が有力で、この伝統的な施設が残ったことは、住民にとって特別な意味を持つ。
![ハワイ・マウイ島大火災の「爪痕」を現地レポート、日本の震災復興体験が現地にもたらしていた“光”とは](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/3/9/650/img_39210871e3cfe3075bb373d185d8b3ef1902993.jpg)
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そのオールド・ラハイナ・ルアウの向かいには、ラハイナ・キャナリーというショッピング・モールがある。パイナップル工場の跡地に建設された小規模な商業施設だ。火災後の休業中に改装し、2024年3月に営業を再開した。ローカルブランドが出店している他、セーフウェイ、スターバックス、ロングス・ドラッグ、そしてABCストアもある。
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被災地のため来客は少なかったが、店舗スタッフは朗らかに接客していた。わずか数ブロックしか離れていない、この一帯にだけ平穏な日常があるように見える。そこに若干の違和感と、確かな救いを覚える。
東日本大震災の復興に学ぶ
「キボウ」プログラムとは
復興への道のりは長い。その過程では、失われた生活の復旧という喫緊の課題解決に加え、その先の未来をいかに構想するかという、より長期的な問題に向き合わざるを得ない。今、マウイ島では、現地のリーダーや若い世代が東日本大震災からの復興に学ぶプログラムが始まっている。
プログラムの名称は、トモダチ・キボウ・フォー・マウイ (TOMODACHI Kibou for Maui Program)。2011年3月11日、東日本大震災の発生後にアメリカ軍と自衛隊の「トモダチ作戦」による緊急人道救援活動が行われたことを記憶されている方も多いだろう。