『花祀り』(幻冬舎)で第1回団鬼六賞大賞を受賞して以降、作家の花房観音さんは女性たちの鮮烈な生き様を描き続けてきた。本記事では、『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(キム・ダスル著、岡崎暢子訳)の発売を記念して、傷つくことが多かった花房観音さん自身の過去から、「気楽に生きるコツ」を寄稿いただいた(ダイヤモンド社書籍編集局)。

【すぐ逃げて】「不愉快ないじりをしてくる人」に耐えるべきではない、究極の理由我慢するの、もうやめない?(Photo: Adobe Stock)

私が我慢すればよかったの?

 私は若い頃から、よくなめられた。

 たぶん、太っていて、ダサくて洗練されていないし、美人でもないから、老若男女問わず「下」に見られやすく、からかいの対象になりやすかったのだ。

 よく言えば「親しみやすい」けれど、失礼な態度をとられやすい。

 ずっと自分に自信がなく、自己評価が低かった。

 だから嫌われることが怖い、仕事を失うのも怖い、居場所がなくなるのも怖いと、抑え込んできた。

 黙ってやりすごすことができたらよかったのに、途中で耐えきれず爆発してしまうから、「いきなりキレる人」と思われる。本当はいきなりではないのだ。

 でも、その場その場で「嫌だ」と発する勇気がなかった自分にも責任はあると、自己嫌悪に陥った。

 自他とともに「おばさん」と呼ばれる年齢になったことで、なるべく「嫌なことは嫌」と言えるようにはなった。それでも「場の雰囲気」を考えて抑え込むことはたびたびある。

 団鬼六賞という官能小説の賞を授賞して小説家になった私は、性的なことを書く仕事が多い。

 そうなると、私の書いたものを読んだこともない不特定多数の初対面の人たちから、「どんだけエロいことしてるの?」「経験を書いてるの? そんな経験あるようには見えないけど」などと、「からかう」口調で個人の性体験を聞かれたり、「この人、エロいもの書いてる人!」などと、おもしろおかしく大勢の前で囃し立てられたりすることは、しょっちゅうだった。

 皆、悪気はない。顔を出して性を描く、若くもない女が珍しいから、「珍獣」として遊んでいるだけだ。

 もちろん、「やめてください」なんて怒りはしない。ただ薄笑いをして耐えている。

 空気を乱したり、その場に呼んでくれた人の顔をつぶしてはいけないから。

 私が開き直って「エロい女です。全部体験です」と、サービス精神を発揮して、彼ら彼女らの期待に応えることができたらよかったんだろう。

 だけどそれができずにいたのは、自己評価が低いくせに、プライドだけは高かったからだ。

 小説家教室に講師で呼ばれた際の懇親会では、ほかの作家は作品についての話や小説の書き方についての質問を受けるのに、私に対しては作品と関係ない性的な相談や質問ばかりで、「作家と思われてないんだろうな」と落ち込みもした。

 デビューして最初の頃は、自分に自信がなく、容姿もよくなく魅力もない人間だから、せめてもの自己アピールとして、露悪的に下ネタを口にしていたので、それもよくなかったのだろう。

 傷つく前に、心を防御するひとつの手段ではあったが、相手を勘違いさせたり、不快にさせたことだって、たくさんあったはずだ。

 作家になり、年月を経て、ノンフィクションやホラー、ミステリー、時代小説の本も書いたけれど、「エロ作家」のイメージは強固だ。

 読書サイトや読書好きの「エロのイメージがあるから読まない」というつぶやきなども目にする。やはり「あなたの本は、恥ずかしいから買いません」などと、面と向かって言われることもある。

 好きで書いているジャンルとはいえ、なんでこんなに傷つけられてしまうのだろうとは、ずっと思っている。

 傷ついてしまう自分が悪いのか、とも。