25年以上多くの読者に選ばれ続けてきた大学案内『大学図鑑!』が今年もパワーアップして発売された。現役生・OB・OGら5000人超のナマの声によってつくられた本書は大学選びのひとつの手段として選ばれている。本記事では最新版である『大学図鑑!2025』の出版を記念して、内容の一部を抜粋、再編集してお届けする。(本記事は2023年12月に執筆された『大学図鑑!2025』および2014年12月に執筆された『大学図鑑!2016』をもとにしています)

大学生Photo: Adobe Stock

関東の国公立大学の序列は10年間でどう変わった?

 読者の皆さんもすでにお気づきのように、関東の国公立大学は10年くらいで序列が変わることはない。私立大学は10年もあればそれなりに動きがあるものだが、国公立はそれぞれが圧倒的かつ特徴的で、「早慶」のようなライバル構図がない。

 とはいえ、この10年でいくつかニュースはあった。たとえば、東京都立大学。10年前の『大学図鑑!2016』では、まだ首都大学東京の名前だった。ここで当時の『大学図鑑!』に掲載されていた内容を一部紹介する。

『大学図鑑!2016』に掲載されていた「首都大学東京」の紹介

 旧都立大は真面目でおとなしく地味という印象だった。が、首都大になってからは、学生が「キャンパスの雰囲気が全体的に明るくなった。女子はキャピキャピしているし、男子もテンションが高い」と様変わり。ただ、「和を乱さず、決められたタスクはこなす。その反面、独創性に乏しい」という昔ながらの気質もまだ残している。

 大学生らしい活気と向上心を秘めつつ、しかしガツガツした私大ノリは好まない、自然体重視の穏やかな学生たち──そんなところが現役首都大生のボリューム層だ。

 都立大時代は知名度の低さを嘆いていたが、「石原元都知事主導や大学名変更などで注目された」もも。一方で、「新大学の理念を信じ、首都大を少なからず誇りに思っている学生と、都立大時代を懐かしむアンチ石原な上級生の間には大きな溝がある」とも言われていたが、旧都立大生は卒業していき、新陳代謝が一段落。それにあわせて新しい校歌もつくられた。でも、「いまだに首都大と言っても通じない人が多いから、最初から『都立大生です』と言うことにしている」(都市教養学部生)

 当時の記述からもわかるとおり、名称変更には賛成派と反対派でまだまだわかれていたことがわかる。