「絶対王政」は絶対じゃなかった!?
世界史の新常識とは

 現行(新課程)の教科書でも、相変わらず絶対王政という言葉は登場する。しかし、その扱いはかなり変わってきたと言える。

 まず絶対王政とは、「近世ヨーロッパにおいて、国王が諸侯(貴族)や教会などの権限を奪い、国王による中央集権化を進める政体」と定義されることが多い。しかし、ここで注意したいのが、歴史上にこの定義が完成した国が見当たらないということだ。実のところ、この絶対王政という言葉が厳密に合致するのはフランスやスウェーデンくらいしかない。

 例えば、イングランドは中世以来の議会が権限を失わず、スペインは中小規模の国家の複合体を一人の国王が兼ねる(同君連合)といったように、近世ヨーロッパの大半の国が、絶対王政とは言い難い状況にあった。

 一方、絶対王政が最も典型的に進んだ国家がフランスだ。フランスでは1615年から174年間ものあいだ議会が閉会した。中世よりヨーロッパ諸国の中でも王権による国家統合が進み、その延長にあったのが絶対王政だと言える。このため、17~18世紀のフランスでは、従来と比較して格段に王権が強化されたことは確かなのだ。

 しかし、そのフランスですら、絶対王政は“完成しなかった”。どういうことか。