生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間に襲いかかる…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。本稿では、作家の橘玲氏に本書の魅力を寄稿いただいた(ダイヤモンド社書籍編集局)。
深夜の羽田空港の光景
ずいぶん前の話になるが、那覇から東京に戻る最終便が大幅に遅れたことがあった。
羽田空港に着いたときは、電車やバスの終電はとっくに終わっていた。しかたがないのでタクシー乗り場に行くと、案の定、長蛇の列ができている。
列の先頭では拡声器をもった係員が、「ここで待っていても車は来ません。自分で手配してください」と叫んでいた。不思議に思ったのは、それにもかかわらず、列に並んでいたひとたちがまったく動こうとしないことだった。
私はたまたまタクシー会社の共通チケットをもっていたので、そこに載っている番号に順に電話してみた。
運よく2件目の会社で空港に向かっている車が見つかって、10分ほどで乗ることができた。その間、タクシー乗り場に車は1台も来なかった。
そのとき思ったのは、私のようにタクシー会社に電話する者がいると、空港に向かう車はすべて押さえられてしまうのではないか、ということだった。だとしたら、黙って列に並んでいるひとたちはいつまで待つことになるのだろうか。
そう考えると、深夜12時過ぎの長い列になにか不気味なものを感じた。
動物が群れる理由
最近、動物の社会性を論じた動物行動学者アシュリー・ウォードの『動物のひみつ』(夏目大訳/ダイヤモンド社)を読んで、長いあいだの疑問がようやく解けた。
弱い動物が群れをつくるのは、単独で生きるよりも、集団になったほうがずっと有利だからだ。
捕食者が闇雲に群れに飛び込んでも、目の前で無数の動物が動き回っている状況では標的を絞り込むことができず、狩りはまず成功しない。動物が群れる第一の理由は、その方が安全だからだ。群れから離れて孤立していると、捕食者にとって絶好の標的になってしまう。
さらに、群れをつくると食べ物を見つけたり、安全な巣を確保するための情報を入手しやすくなる。一匹でうろうろと動き回っても幸運に出会える確率は低く、そのうち餓死してしまうだろう。だが10匹、100匹、あるいは数千匹で周囲を探索し、互いの情報を交換すれば、最適な意思決定ができるようになる。
群れることによって、捕食者から身を守り、食料を確保してより多くの子孫を残すことができる。こうして群れをつくる遺伝子が後世に伝えられ、動物の社会性が進化していく。ヒトもまた、高度に社会化した動物の一種だ。
だとすれば、わたしたちが無意識のうちに行なう社会的な行動も、動物の社会的な行動から説明できるはずだ。
ナンキョクオキアミはエビに似た甲殻類で、人間の指くらいの長さしかないが、何兆と集まって数百平方メートルもの範囲の海をオレンジピンクに染める巨大な群れをつくる。
オキアミの身体はほぼ透明なので、心臓が動いている様子を外からでも観察できる。集団から離れて孤立すると、オキアミの心臓の鼓動は目に見て早くなる。クジラやヒョウアザラシのような捕食動物に狙われやすくなったことに怯えて、群れに戻ろうとしているのだ。
人間も「社会的な動物」である
ここから、私が深夜の羽田空港で見た奇妙な光景を説明できるだろう。誰かが先にタクシー乗り場に並んでいると、無意識にその列に加わろうとする。そのほうが安心できるからだ。
いったん長い列ができると、集団から離れて単独行動をすることの心理的ハードルはますます高くなる。こうして、係官が「ここに並んでいてもタクシーは来ません」と叫んでいても、どんどんタクシー乗り場の列が伸びていくのだろう。
イトヨは河川などに生息するトゲウオ科の小魚で、若い個体は群れで生活し、食べている物によって、また棲んでいる場所によってにおいが変わる。棲む場所がわずか数メートルちがうだけでも環境が変わり、イトヨのにおいも微妙に変わる。そして、イトヨは自分に似たにおいの仲間とともに行動したがる習性がある。
ヌーの群れの一部の個体の角を、白い塗料で着色した実験がある。集団のなかで目立つようになった個体は、すぐに捕食者につかまってしまった。社会的な動物が生き残るうえでは、「みんなと同じ」であることが重要で、「ちがう」ことはものすごく不利なのだ。
さらにこの実験では、まわりのヌーたちは、外見の異なる「風変わりな者」を排斥するようになった。近くにいることで、捕食者の攻撃の巻き添えになるリスクを避けようとしたのだ。
これらの社会的な動物の行動は、学校のいじめから排外主義まで、人間の社会的な行動の多くを説明するだろう。人間と他の動物にちがいがあるとすれば、自分がオキアミやイトヨ、ヌーと同じことをしていると気づくことができず、選択や行動にもっともらしい理屈をつけることだろうか。
本書はそれ以外にも、昆虫から鳥、哺乳類まで、さまざまな社会的な動物の行動を軽妙な筆致で描写して、読み物としてものすごく面白い。だが、わたしたちも同じ社会的な動物だと気づくと、スタジアムやロックコンサートの群衆がシロアリやハナバチの群れに見えてきて、ちょっと怖くなる。
作家
2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)、『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(以上ダイヤモンド社)『「言ってはいけない? --残酷すぎる真実』(新潮新書)などがある。最新刊は、『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)。メルマガ『世の中の仕組みと人生のデザイン』配信など精力的に活動の場を広げている。
(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉に関連した書き下ろしです。)