フランスですら王に
絶対的な権力がなかったと言えるワケ

 その背景を読み解く鍵は、近年の教科書や用語集に散見される社団という用語にある。

 社団とは中間団体とも言い、共通の目的のために結成された人間の集団を指す。社団の具体例としては、貴族・ギルド・大学(職能集団)や、都市・村落(地縁共同体)などがあり、社団は国王の命令の受け皿ではあるものの、一方で国王の命令は社団の構成員である臣民(人民)に直接の統制を強いるものではなかった。

 また、各々の社団は国王から特権を保障されていることが多く、特権が侵害される事態が生じると、しばしば国王に対して反乱を起こすことすら珍しくなかった。

 このため、絶対王政と呼ばれる国王による集権化が進んだフランスでも、社団の意向は無視できず、国王はしばしば社団間の利害調整役を担うことも多かった。このような状況を鑑みれば、フランス絶対王政といえども、国王は必ずしも勝手放題にさまざまな政策を展開できたわけではないことは、想像に難くないだろう。絶対王政と中央集権化は、必ずしもイコールではなかったのだ。