真の「中央集権化」は
ナショナリズムによって果たされた

 では、絶対王政が中央集権化の最終段階でないならば、何をもって完成したと見なすべきなのだろうか。その答えは絶対王政の末期に生じるフランス革命にある。

 1789年にパリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃してフランス革命が勃発すると、革命政府の動向をヨーロッパ諸国は警戒した。この諸外国の警戒(あるいは警告)に必要以上に過敏に反応した革命政府は、オーストリアへの宣戦をはじめ、ヨーロッパ諸国と戦端を開く(フランス革命戦争)。

 革命戦争の勃発はフランスにとって苦境の連続であり、さらに1793年に国王ルイ16世を処刑したことで、イギリスを中心にヨーロッパ諸国が対仏大同盟を結成する。また、国内でも革命政府内で諸党派の対立が止まず、民衆の暴動・反乱や政府要人の暗殺すら生じるまでに混乱し、まさに内憂外患といった様相を呈した。

 そうした状況で革命政府が訴えたのが、フランス人民の郷土愛であった。外国の侵略という危機的事態を、郷土愛と結びつけることで、人民の積極的な協力を促そうとしたのである。この時期に成立し、後に国歌となる「ラ・マルセイエーズ」はまさにそうした気概をよく表しており、歌詞中に何度も登場する「暴君tyrannie」とは、国境へと押し寄せる外国君主のことを指す。

 革命戦争の下でフランスでは史上初となる徴兵制が実施され、これも史上初となる国民軍が編成された。この国民軍は郷土愛(あるいは愛国心)を軸に士気が高く、間もなく軍人ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)が台頭すると、彼の軍才の下でヨーロッパ諸国を席捲することになる。

 革命戦争による危機的な状況を経て生じたこのイデオロギーはナショナリズムと呼ばれ、革命戦争・ナポレオン戦争を通じてヨーロッパに普及することになった。

 このナショナリズムに裏付けられた国民あるいは国民国家の形成が19世紀に進み、アメリカの南北戦争(1861~65年)やイタリア(1861年)、ドイツ(1870年)の統一といった国家統合の動きが、各国で急速に進んだ。これに伴い、欧米諸国は真の中央集権化を果たすことになるのである。