娘がピンチのときには
長野から駆けつける母

 母にヘルプをたのむようなときは、たいがいシッターさんも手配できない急な状況で、切羽詰まっている。どんなときも、「はいよ」と二つ返事で、とるものもとりあえず特急あずさに飛び乗り、駆けつける。そして、新宿で、両手に持った袋がパンパンになるほど肉や魚を買い込み、我が家へ。

 今半の牛肉、魚久の銀鱈の粕漬。追分だんごのみたらし。田舎暮らしなのに、どこで知るのか、ちょっと高くて私がふだん買えないものばかりだ。新宿で買ったそれらを、自分の滞在中は食べない。「忙しいとき砂糖醤油でしぐれ煮にすると楽だよ」と冷凍庫にびっしり詰めこんでいく。

 私は食費どころか交通費を渡したことも、土産の一つも用意したことがない。日本一だめな娘なのに、最後に小遣いまで渡すとは、不安定なライター稼業をいかに母が案じていたか。

 好きでこの仕事をしている私に「やめろ」とも言えず、現実的に母ができることが子守とティッシュの包みだった。

 先日、ベトナムに赴任している息子一家が夏休みで帰国した。

 明日戻るという前夜だったか、一保堂の宇治清水グリーンティと一緒にぽち袋を渡した。

「空港でなにか食べな」

 学生時代、交換留学していたときもそんな物を渡したことがないので、照れくさいような妙な気分だった。息子はひと言。

「なに急に。こわっ」

 ドラマならここで、「母さん、ありがとう」と涙ぐむところじゃないのか。(「ティッシュに包んだお金」より)