若い頃は、聞かれるたびに「大丈夫だよ。食べていけてるよ」と答えていた。それでも納得しない母には、原稿料の内訳を軽く話すことも。1ページいくらでね、ページ数で換算されるんだよ。著作は印税って言ってね、定価の10%なの。

 半年後に帰ると、また「やっていけてるの」と、同じことを聞かれ同じことを説明する。そんな日々が10年あまり続いた。

 なにしろ、映画製作に携わる人と結婚すると打ち明けた時、父は開口一番、「松本の最後の映画館もこの間つぶれたのに、今どきそんな斜陽産業、大丈夫なのか」と言った。

 昔、教科書で読んだ斜陽産業という言葉が、いきなり茶の間で持ち出されて驚いた。長い交際期間、何度か引き合わせていて「いい人だね」と言っていても、いざ結婚となると斜陽産業が両親を引き止める。

 生活費について、私の「大丈夫」は親にとって全然大丈夫に聞こえなかった模様。その証拠に、帰省のたび、別れ際に母はティッシュに包んだお金を玄関でくれた。

「なにかタカオさんとおいしいものでも食べなさい」

 だいたい2万円、ときには3万円のこともあった。子どもの発熱や私の不規則な仕事のために、上京し手伝ってもらったときにも、いつも最後に白い包みを差し出す。エプロンをバッグにしまい、「じゃあね」と去り際のぎりぎり、マンションの玄関口で。