徳川家康が水泳をしていた「意外な場所」

Q. 徳川家康が「健康オタク」だったというのは本当ですか?

本郷 本当です。家康は75歳で亡くなっていますが、当時は「人生50年」の時代です。今の基準でいうと、100歳超えのご長寿だと思ってください。

「健康オタク」としては、水泳の訓練を死ぬまで欠かさなかったのと、乗馬も生涯続けていたことがわかっています。それから薬が大好きで、いつも薬の調合をしていたほか、長生きするために贅沢な食事を控えていたそうです。

 でも、たまたま贅沢に鯛を天ぷらにして食べたら、食中毒になって死んでしまいました。人生は何があるかわからないですね。

――ちなみに、水泳の訓練はどこでやっていたんですか?

本郷 静岡・駿府城のお堀をプール代わりにしていました。江戸城ではありません。生活用水がそれほど流れ込まないので、水質は結構よかったんじゃないかと思います。

伊藤博文は「本当にいい人」だった

Q. 日本の歴史の中で「いい人」だと思う偉人はいますか?

本郷 豊臣秀吉は「人たらし」だったとよく言われますよね。でも、彼は表面上はニコニコしていながら、腹の中は黒かったタイプなので、実際にはいい人ではありませんでした。

――「いい人ぶる」のがうまかったんですね。

本郷 そういうことです。明治時代だと、伊藤博文が「人たらし」の典型ですが、彼は「本当にいい人」だったと思います。

――どんなところが「いい人」だったんですか?

本郷 特筆すべきなのは、「約束したら守る」という点です。これは、簡単なようですごく難しい。ニュースを見ていればわかるように、今の政治家は嘘をついたり約束を守らなかったりと、不誠実な人が多いですよね。

――確かに、信用できないイメージがありますね。

本郷 伊藤の誠実さを物語るエピソードをご紹介しましょう。明治14年(1881年)ごろ、大隈重信と伊藤は、議会開設をめぐって意見が対立していました。「議会を早く開こう」と主張したのが大隈で、「まだ早い。もう少し時間をかけるべきだ」と訴えたのが伊藤です。

 結果として、政争に敗れた大隈が政府を去ることになりましたが、その際に伊藤は大隈に対して「10年後には必ず議会を開く。そのときは力を貸してくれ」と言ったんです。

 そして、伊藤は約10年後、約束通り議会を開きました。

――有言実行だったんですね。

本郷 しかも、大隈の方も「伊藤は約束を守る男だ」ということを信じていたので、議会開設時に力になれるように、今でいう自民党や立憲民主党のような「政党」をつくって準備していました。

 政治的信念に違いはありましたが、2人とも相手を人間的に信頼して、日本の将来のためにそれぞれができることを遂行したわけですね。伊藤も大隈も、政治家として非常に優秀だったんです。

終わり

(本稿は、『東大教授がおしえる やばい日本史』特別イベントのダイジェスト記事です)

本郷和人(ほんごう・かずと)
東京大学史料編纂所教授。東京都出身。東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。大河ドラマ『平清盛』など、ドラマ、アニメ、漫画の時代考証にも携わっている。おもな著書に『新・中世王権論』『日本史のツボ』(ともに文藝春秋)、『戦いの日本史』(KADOKAWA)、『戦国武将の明暗』(新潮社)など。監修を務めた『東大教授がおしえる やばい日本史』はシリーズ78万部。最新刊『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』も発売中。