「おもしろおかしく」という奇抜な企業理念を掲げ、「配当性向の株主約束」「労働分配率の明示」「週休3日制」などの斬新な施策でも話題を呼んだ。71年の上場時に「社長50歳定年制の実行」を宣言し、その通り78年に53歳で社長を辞し、会長職に退いた。
その後は、地元である京都をはじめとする中小企業やベンチャーの振興に尽力した。88年には京都の知の中心となる京都リサーチパーク、95年にその中核となる京都高度技術研究所(ASTEM)の設立に携わり、ASTEMでは初代理事長として、京都における産官学連携の拠点に育て上げた。99年6月には、産官学連携のイノベーション創生を支援する日本新事業支援機関協議会の代表にも就任している。
堀場が起業したのはソニー(46年創業)、ホンダ(48年創業)と同時期の終戦直後だ。その後、何度かベンチャーブームと呼ばれる時期があった。「週刊ダイヤモンド」97年7月5日号で堀場は、インターネットの普及で訪れた第3次ベンチャーブームについて語っている。この頃は、楽天(97年創業)、サイバーエージェント(98年創業)、ディー・エヌ・エー(99年創業)といったITベンチャーが続々と誕生した時期だ。
堀場は「ベンチャーを本当の意味で育ててやろうという機運はまだない」と話す。その理由として「母親と若い女の子が一番悪いと思っています。母親は依然として、有名大学を卒業して、一流企業や上級公務員試験を受けろと盛んに言う。女の子はボーイフレンドが地方の聞いたこともない会社に、たとえそこが面白いから就職するといっても、それでアウトですよ」と言う。
昨今のジェンダー規範に照らすと問題発言のきらいはあるが、発言の意図は分かる。父親やボーイフレンドと置き換えても同じことで、要は周囲の安定志向やブランド志向を蹴散らしてでも、本人がチャレンジャー精神を貫徹できるか――。果たして令和のベンチャー事情はどうだろうか。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
日本の企業は減点主義
ベンチャーを応援する気風はなかった
――今、第3次ベンチャーブームといわれています。
多くの人が半分皮肉でいうように、ベンチャー支援ブームなんですね。しかし、アントレプレナー自体はそう簡単に出てくるわけじゃない。社会の環境によって生まれる、要するに生き物なんです。その意味では、今回は世の中全体が本当の意味で期待しだしていますし、ブランド志向が崩れて、一人一人が自己実現を強く考え始めている。以前のブームのように、米国ではやっているから日本も乗り遅れるなといったものとは違います。あのときは、変に餌を食べ過ぎ、肥え過ぎて体を壊したベンチャーもありました。
――しかし、支援ブームが先行しているとすると、そのギャップを埋めなければいけないですね。
ベンチャーを本当の意味で育ててやろうという機運はまだない。