小説・昭和の女帝#8Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】「政界の黒幕」の老人の計らいで、レイ子は前々から気になっていた加山鋭達と二人きりになり、ついに男女の関係に発展する。その後、加山に妻子がいることを知ったレイ子は激怒し、復讐を誓った。(『小説・昭和の女帝』#9)

日本人にとって戦争は「台風」のようなものだった

 夏の暑い盛り、レイ子は疎開することになった。

 広島に新型爆弾が落とされて、さすがに陸軍省参謀本部と目と鼻の先に住んでいては危険だということになり、福島県に移ったのだった。疎開先では鬼頭紘太の親戚が世話してくれた。米もあるし、魚もいくらかある。イナゴの佃煮を出されたのには閉口したが、それでも、食生活は東京よりましだった。

 レイ子はそこで、終戦の知らせを聞いた。真木甚八も後を追って福島に来る予定だったが、その前に戦争が終わってしまった。

 彼女の心は晴れなかった。甚八も鬼頭も、事業家の加山鋭達でさえも「戦後」に希望があるようなことを言っている。だが、レイ子の目の前にあるのは、腹を空かせた人びとや、親を亡くした子供といった、厳然たる敗戦国の現実だった。

 4月に東京で味わった空襲の恐怖が、いまでも彼女の頭から離れない。

 空襲で、事務所に隠してあったダイナマイトが爆発したらしいと報告を受けた。夜中のことだったので、空が白み始めてから甚八と現場に向かった。

 赤坂にある事務所が入居していたビルは、木っ端みじんに吹き飛んで、残っているのは基礎部分と階段の一部だけだった。

 ビルに人がいたらひとたまりもなかっただろう。ご近所にどれだけ迷惑をかけたか想像もつかない。いたたまれなくなったレイ子と甚八はすぐに家に帰る気にならず、青山通りの緩い坂道を渋谷方面にふらふらと上っていった。普段、散歩などしない甚八も、歩くのをやめなかった。

 通りの一帯は、地獄だった。焼け出された人びとが茫然と座っていた。念仏を唱える人や、気が触れたような人もいた。親とはぐれた幼子が行く当てもなく歩いていた。大人も子供も、栄養不足でやせ細っていた。レイ子は街の人びとを見て、自分が特権的な立場にいることを思い知った。真木邸では、食べ物が足りなくなることはなかった。

 彼女は罪悪感にさいなまれた。もしかしたら、目の前にいる戦争孤児たちの親を殺したのは、米軍ではなく、自分かもしれない。爆発時にビルにいた人びとは、死体が残らないくらい、気の毒な死に方をしただろう。自分は、アメリカでも中国でもない何かから罰せられるような気がした。