日本が知らない戦争のシビアな駆け引き
当事国さえ予想できなかった第一次大戦
歴史的に大きな対外戦争の経験が少ない日本は、第二次世界大戦で無条件降伏したような形での停戦を想像しがちです。しかし、常に領土を奪い合ってきた欧州の伝統では、完全勝利や完全敗北こそありえないことで、停戦交渉は必ず条件闘争となります。つまり「第三次世界大戦」はウクライナ停戦の条件闘争として始まる可能性が高いのです。
第一次大戦は、ボスニア=ヘルツェゴビナの首都サラエボで、1914年6月28日にセルビアの民族主義者の青年がオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者、フランツ・フェルディナント大公を暗殺した事件から始まりました。オーストリア=ハンガリーはセルビア王国に最後通牒を発し、各国はその調停に奔走しましたが、当時の世界は色々な国が同盟や相互防衛条約を結び、ひとつの戦争が他の戦争を誘発しやすい仕組みになっていました。
当時の基本的な構造は、連合国(ロシア帝国、第三共和政フランス、大英帝国の三国協商に基づく)と中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリアの三国同盟に基づく)の両陣営。皇太子暗殺事件によって、まず同年7月24日からロシアが開戦準備に入り、28日にオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告すると、ロシアは30日に軍隊の総動員を命じました。対してオーストリアの同盟国であるドイツは、ロシアに最後通牒を突き付けて動員を解除するよう要求、それが断られるとロシアに宣戦布告しました。
ロシアは三国協商を通じてフランスに参戦を求め、逆にドイツもフランスに宣戦布告した上で、中立国のベルギーを通過してフランスに進軍しました。その結果、イギリスがドイツに宣戦布告し、イギリスと同盟を結んでいた日本も連合国として、8月23日にドイツに宣戦布告します。
ここまでたった2カ月。どの国も、世界を巻き込むほどのこれほど大きな戦争が起きることなど、予想もしていませんでした。さらに戦争は拡大し、イタリアは英仏側に、オスマン帝国がドイツ側に立つと、中東にも戦争は拡大しました。そして、最後は米国が参戦。これが決定打となってドイツは降伏し、皇帝の亡命によって戦争は終わりました。