人間の根源的欲求を
見据えた事業創造
コア事業の手帳事業について、あらためて伺います。日本だけでなく世界中にファンを増やしたほぼ日手帳ですが、手帳はある種のコモディティ商品でありながら、なぜここまで売れるのか。どのように魂を入れて進化させてきたのかを教えてください。
そもそも、なぜ手帳がコモディティ商品なのかがわからないのです。むしろ、そうした見方はおかしいとさえ思います。なぜなら人類の長い歴史から見れば、活版印刷やタイプライターの歴史なんて短いものです。PCやインターネットもごく最近の発明にすぎない。古来より、石に彫ってまで文字を残したいと思ってきたのが人類です。ゆえに「手書き」は人間の本質、根源的な行為だといえます。脳も肉体も、手書きを記憶している。人類と文字の歴史という大河を俯瞰したうえで、その主流がどこにあるか、つまりは「人間の根源的な欲求」が何かを見失ってはいけません。
その意味で、手帳がコモディティ商品、時代遅れだというのはナンセンスだと思います。何でもネット、何でもスマホで本当にいいのでしょうか。デジタルファーストという共同幻想に酔っ払ってはなりません。また、自己主張や自己表現も、人間の根源的な欲求の一つです。誰かに見せることのないパンツの柄さえも選ぶのが人間なのですから(笑)。
手帳はそうした人間の根源的欲求に沿った商品であり、ほぼ日手帳はその欲求に応える工夫にこだわり、進化し続けてきました。もし、手書き手帳が消滅することがあるならば、人間の根源的欲求を覆すようなニーズがどう生まれるのかを教えてほしいくらいです。
ちなみに任天堂がスマホゲームの参入に乗り遅れたと一時揶揄されたことがありました。しかし、彼らがスマホゲーム市場の波に飲み込まれずに済んだのは、最初からスマホゲームはゲームの一部にすぎないと考え、コンシューマーゲームにおける自社ハードと自社ソフトの開発に手を抜かなかったからです。
すなわち手帳やコンシューマーゲームの過小評価は、まさに大きな「錯覚」といえます。こうした例に照らしても、人間の根源的欲求を踏まえた事業創造が重要です。
手帳事業に続く、新たな顧客を創造する「次なるコア事業」についてもお聞きします。そのスタイルとは、やはり「人間の根源的欲求」にこだわるものでしょうか。
ほぼ日は「ライフの楽しみを生み出す会社」と申し上げましたが、それを確信させてくれたのは、やはりほぼ日手帳でした。2012年の英語版の発売開始で、アメリカに対して流通の大きな風穴が開きました。「ジャーナリング」(書く瞑想)という現地ユーザーの新たなニーズを知って痛感したのは、僕ら自身が手帳を「手帳という領域」に押し込めていたことです。手帳をもっと広義にとらえることができれば、ほぼ日手帳はもっと進化できる。
また、「ライフの楽しみ」=「人間の根源的欲求」だといえます。その視点に立てば、手帳以外にも掘り起こすべきニーズはまだまだたくさんあるはずです。
たとえば洋服です。昔と比べて服を買わなくなった人が増えています。実際、1990年には15兆円を超えていた国内アパレル市場は、いまや10兆円以下にまで縮小しています。これをアパレル業界の衰退というビジネス論として語ることはできますが、僕らにとって関心があるのは、「服を買う時の楽しさがどこに行ってしまったか」ということです。その行き先はキャンプかもしれないし、町中華かもしれない。つまり僕らは、楽しさという「ガスが逃げた先」を追いかけたい。それがほぼ日の新たな商売の種になるはずです。どこにたどり着くかわからないところが、ライフの楽しみを生み出す会社らしく愉快でいいと思うのです。
次世代を支援する
ポストモダンの経営体制
最後の質問として、「今後の経営体制」について伺います。創業者として、経営のバトンをどのようにつないでいきたいと考えていますか。
社長を退任することを考え始めてから、すでに2〜3年が経ってしまいました。任せられないから辞めないのではありません。大事なのは、「自分ができることのほうが、みんなができることより少ない」と思うかどうかです。そう感じたら、辞めるべき時だと思います。ただ、僕が言い出して始まったことが目立っているうちは、オーナーである僕がいたほうが便利なことが多いのは事実ですし、そのほうが求心力はあります。
ほぼ日は、平準化したつまらないことをやる会社ではありません。だからこれまでは、オーナーとしての権限を使って、会社を引っ張ってきました。僕が言ったんだからやれよということも多々あったかもしれません。しかし、このままだとどうしたってみんなが僕に遠慮するので、新しいマネジメントのやり方がないかを考えています。特に、若い人が「暴れる」ことができる体制づくりを念頭に置いています。
一つのアイデアは、「長老会議」です。古代ローマ時代の元老院のような諮問機関的なものですね。そのメンバーがある種の「経営の重し」となるだけでなく、現場を後押しするような役割を果たす。よい意味で、権力の二重構造をつくるイメージです。というのも、これからは明らかに一人のカリスマが組織を引っ張っていく時代ではないでしょう。その意味でも、ポストモダンの経営体制になるかもしれません。ちなみに「長老」という言葉には、「徳を積む」「歴史に聞け」という意味を込めています。そうした長老の徳と知恵をもっと経営に活かす方法があるのではないでしょうか。
ほぼ日はコンテンツで稼ぐアイデア資本主義の会社だからこそ、よいアイデアがたくさん生まれる環境をつくりたい。「クリエイティブの3つの輪」(動機、実行、集合)と「行動指針」(やさしく、つよく、おもしろく。)がぐるぐると回り続けることを支援するようなマネジメント体制が理想です。だから、若い人にはその支援を背景に、思う存分暴れてもらいたいのです。
最後に、僕が若い人に伝えたいことは2つあります。
1つ目は、「徳を積んでほしい」ということです。古臭いことを言うようですが、道にゴミが落ちていたら拾う、お年寄りには席を譲る、親孝行をするなど、ある種の当たり前をきちんとできることが大切です。「やさしく」を行動指針の最初に掲げる企業として、人や社会に対して常に思いやりを持つ人間であってほしい。思いやり、やさしさ、徳は、人として不可欠な要素ですから。
2つ目は、「感じる心を持ってほしい」ということです。たとえば、ランチの時間がなくてコンビニで買ったものを急いで食べる時であっても、「食感がよい」「いままでにない香りがする」「物足りない」など、何かしら感じることがあるはずです。食べることは人間の根源的欲求であるからこそ、ただ単に空腹を満たすのではなく、何かを感じ、考えてほしい。
人間が人間であるための「徳」と「感じる心」なくして、「ライフの楽しみを生み出す」ことはできません。こだわりがなければ、力のあるアイデアも生まれてこない。みずから森に分け入っていかなければ、おもしろがらせる側には立てないし、人を喜ばせることなんてできない。人にも会社にも、「生き方」が問われている。僕はそう思うのです。
◉聞き手|宮田和美
◉構成・まとめ|奥田由意、宮田和美 ◉撮影|佐藤元一