自分の成長と
誰かの喜びをリンクさせる

「株式上場は成長のスイッチを入れるため」と同時に、「利益を目的としていない、やわらかい上場」ともおっしゃっています。だとすれば、ほぼ日にとっての「成長」とはどのようなものなのでしょうか。

 数字は、結果的についてくればいいと思っています。数字がついてこない場合は、数字になるのが遅れているか、違う方向を向いているかのどちらかでしょうね。

 とにかく、意味のない期待値、すなわち「目的としての予算」を設定することはやめたい。それが続くと、いずれはその目的にがんじがらめにされてしまいます。それでは本末転倒です。自由を確保するために予算という手段を使う。予算必達が目的ではなく、予算は夢を実現するための手段にすぎない。もちろん、株式市場における企業価値向上を否定はしません。その意味では、ほぼ日はまだまだだといえるでしょう。怒られてもいないが、楽しみにされてもいない。その辺りをウロウロしている段階かもしれません。

 ですが、一つだけ信じられるのは、自分たちがやってよかったなと思えることの結果が利益になるということです。ゆえに僕がイメージする成長とは、「できることがどう増えるか」。ただし、無理をして事業を増やそうとするのもよくないし、人やチームの能力向上を期待しすぎてもいけない。むしろ成長は、生きていくうえでの「楽しみ」だと考えたい。

 アスリートがもっと打ちたい、もっと高く跳びたいと自主的にトレーニングをするように、僕たちも楽しみながら自分を磨くことが大事です。その結果、自分たちができることが増えて、誰かを喜ばせることにつながる。もともと、ほぼ日の事業のベースには「人に喜んでもらえるか」があります。自分の成長(できることが増える)と誰かの喜びをリンクさせていく。ほぼ日の社員には、そうした「生き方」にこだわって仕事をしてほしい。そして、その集合体である会社にも「生き方」があってもいいのではないか。だから僕は、ゆっくりでもいいから、「できることが増えたね」「誰かに喜んでもらえてよかったね」とみんなが思える会社にしたいのです。

 株式会社は法人格、つまり法律上の人格ですが、ほぼ日はそこに人間的な人格を吹き込んでいるように見えます。利益に拘泥せずに「生き方を楽しむ企業」という新たな形を、株式市場という公器の中でチャレンジしているのでしょうか。

 新たな会社の形への挑戦のように、肩に力は入っていません。僕らはこれが普通だし、自然体です。ただ、もしかしたら周りからは異端児に見えるのかもしれませんね。

 近年、株主資本主義からステークホルダー資本主義へという流れがありますが、世の中のくたびれ方に応じて、人々の考えも大きく変わってきたように感じます。時代が追い付いてきたなどとはけっして思っていませんが、会社に対する考え方が僕たち側に少しだけ寄ってきた感覚はあります。少なくとも僕らは、「時代に合わせすぎないことでしか、自分たちの役割は見つからない」と信じています。

自分たちの役割、
存在意義はどこにあるか

 糸井さんが大きな影響を受けたのが、経済学者の岩井克人先生(東京大学名誉教授)です。岩井先生は著書『会社はこれからどうなるのか』(平凡社、2003年)、『会社はだれのものか』(同、2005年)の中で、「株式会社とは何か」という根源的な問いを追求し、「株式会社は株主のものではない」「株式会社の経営者は株主の代理人ではない」として、法の定義に異議を唱えられました。

 なお、上場後初の株主ミーティングの席に岩井先生を招いて講演をお願いされたそうですね。あえて株主を前に「株式会社は株主のものではない」というメッセージを発した理由は、時代に合わせすぎないことで自分たちの役割をまっとうするためだったのでしょうか。だとすれば、ほぼ日の「役割」とは何でしょう。

 岩井先生の著書を読んで以降、会社経営が俄然おもしろくなったのは確かです。岩井先生の主張に強く共感したからこそ、あえて上場後初の株主ミーティングで岩井先生に講演をお願いしました。もちろん株主に喧嘩を売りたかったわけではなく、「利益を目的としない、やわらかい上場」という僕らの上場スタイルに共感してくれる株主が絶対にいるはずだという思いがあったからです。だから不安はなく、むしろ愉快犯のような気持ちで株主ミーティングに臨みました。幸いにして、株主の多くはそれを理解してくれました。

 そもそも上場とは、「住民票をもらう」ようなものだと考えています。常に社会から見られ、逃げも隠れもできない。自分たちの仕事が社会に受け入れられているかを試される場に身を置くということです。そのうえで、僕たちの考えを理解してくれる人、支えてくれる人、つまり応援団が増えてくれることは、非常に嬉しいことでもあります。

 では、こうした上場スタイルの背景にあるほぼ日の役割、存在意義とは何か。上場当時は「クリエイティビティであふれる会社」みたいなものをイメージしていましたが、確固たるものではありませんでした。ところが最近になって、ようやくそれが「ライフの楽しみを生み出す会社」であることに気づきました。そもそも人間の本質は「ワーク」の中にはなく、生きること、つまり「ライフ」の中にあります。「ワークライフバランス」という言葉は、仕事に重心があったうえで仕事と生活を調和させようというビジネス側の論理ですが、ほぼ日はライフのほうに軸足があって、ライフの楽しみをどれだけ生み出せるかを仕事にしているのです。

 ちなみに上場した年の2017年にスタートしたイベント事業「生活のたのしみ展」というネーミングは天から降ってきたように思い付いたものですが、あらためて考えると、「ライフの楽しみを生み出す会社」という僕らの役割、存在意義をきちんと示していたのだと思います。

 利益を目的としないと公言した上場から、はや7年が経ちました。生き方を大切にする「人」に投資することを最優先に、会社運営をしてきました。その結果、ほぼ日の役割(ライフの楽しみを生み出す)を果たすための人材はかなり揃ってきたと考えています。言わば、ほぼ日の設備投資は人への投資です。製造業に例えるなら、多様な製品を生む、多様な工場をいくつも建設した状態になりつつあります。

 こうした僕らのやり方に賛同できない株主ももちろんいることでしょう。期待外れだと思う人はすでに株を売っているでしょうし、それは仕方ないことだと思います。一方で、いまなお株を持ってくださっている株主は、ほぼ日の成長する姿がおぼろげながらも見えている、もしくは見えないまでも、その予兆を感じてくれている方でしょう。だからこそ、その人たちの期待に応えるための味見やトライを忘れてはならないと肝に銘じています。

 味見やトライという点では、コア事業であるほぼ日手帳においても貪欲です。オリジナル商品だけなくキャラクターとのコラボ商品の開発も進め、ラインアップはなんと250種以上に上ります。また、2012年からスタートした英語版によって、世界中にほぼ日手帳ユーザーが拡大しました。海外売上比率が52%にまで拡大しているそうですね。

 先ほど申し上げた通り、事業が僕の背丈を超えるきっかけとなったのが『ほぼ日刊イトイ新聞』、そしてそこから生まれたのが手帳事業です。ほぼ日の当初のビジネスは、ほとんどが僕のファンによるインナーサークルに支えられていました。それが手帳という商品を出すことによって、手帳が「新たな顧客」を連れてきてくれたのです。

 ピーター・ドラッカーが言うところの「新たな顧客の創造」ですね。

 その通りです。顧客の創造というのは、結局のところ、人々が喜んでくれるものを新しく生み出すことにほかなりません。ほぼ日手帳というライフの楽しみをサポートする商品を支持してくれる人が、日本だけでなく世界中に増えました。「お前のことは嫌いでも、これはよいモノだから買うよ」ということが起こるのが、モノ売りのおもしろいところです。ほぼ日手帳が、インナーサークルに支えられていた会社の天井を突き破ってくれました。

 ただし、まだ手帳以外の強力なブランドが育っていないのも事実です。新たな顧客を連れてくる次のヒット商品をぜひとも生み出したいと思います。

 株式上場というのは、貴社にとって新たな顧客を創造するための「一つの商品」だったようにも見えます。

 なるほど、たしかにそういう側面はあるかもしれない。ライフの楽しみを生み出す会社という商品を株式市場に出品している。そう考えるとおもしろいですね。