ルールに囚われた
つまらない組織にしたくない

 貴社の社員の方々と名刺交換をして驚かされるのは、「組織名や肩書きがない」ことです。いわゆる「自律分散型組織」を体現していると拝察しますが、具体的にはどのようなチーム編成、事業運営になっているのですか。

 いまは組織図がないのです。以前は「人体模型図の内臓のような組織図」をつくっていましたが、そこからどんどん変化しています。企画、編集、デザイン、マーケティングなど大まかな役割はありますが、縦割りの組織にはなっていません。何より、組織図に意味や機能を持たせすぎたくない。野球に例えれば、大まかな守備範囲はあって、攻撃は全員でやる。誰が打ってもいい。全員が攻守の両方を担う。そういうイメージでしょうか。

 また、ほぼ日の事業は「動機を持った人が手を挙げて、そこに仲間が集まる」ことが基本です。社内外を問わず、どれだけ仲間を集められるかがカギとなります。

 そして何より、僕らが実践する自律分散型組織の最大のメリットは、「つまらなそうにしている人が少ない」ことです。一般的には、「いかに稼いでいるか」「いかにパフォーマンスを上げているか」が価値になりがちですが、その場合、ハイパフォーマーであっても嫌々その仕事をやっている人がいるかもしれません。一方、ほぼ日では、ハイパフォーマーかどうかよりも、「楽しく働けているか」のほうを大事にしています。稼げないことを責めるような組織にはしたくありません。

 ちなみに、かつてある社員から「糸井さんはなぜ遅刻する人をとがめないのか」と質問されたことがありました。私はこう答えました。「時間を守ることを最大の価値にしたくないから」と。これは一例にすぎませんが、つまりは「規則ばかりに収れんする」ことを恐れています。つまらないルールに固執すると、ルールを守れる人がマルで、そうでない人がバツとなってしまう。ルールを管理する人だけが威張れてしまう。そんなつまらない組織にしたくないだけです。

 一般的な企業から見れば、自律分散型組織のデメリットは「管理コストが高くつく」ことだろうと思います。たしかに、ルールをつくってそれを遵守させるほうがマネジメントとしては効率的かもしれません。けれども、ユニークなクリエイティブ集団であり、アイデア資本主義を目指すほぼ日にとっては、「居心地」は何物にも代えがたいものです。組織行動学で言うところの心理的安全性ですね。ほかの条件を抜きにしても、居心地がよければ人はやって来る。居心地のよい場づくりが不可欠なのです。ハイパフォーマーだけが報われる組織なら、報酬と肩書きを目当てにする人しか来なくなってしまうでしょう。

 当社も含め、コロナ禍以降、リモートワークOKの会社が増えてきました。正直なところ、さぼってもわかりにくい勤務体制です。けれども、8時間労働だとして本当に集中して働けるのはせいぜい3時間くらい。これが人間の本質です。だからこそ、その3時間でいかによいアイデアを生み出してもらえるか、そのほうがよっぽど重要です。そこではルールは無力なのです。

 もちろんルールそのものはまったく否定しないし、あると便利な時もあるでしょう。ただ、必要最低限のものに留め、むしろみんなが楽しく生きるための知恵として使うべきだと考えます。重箱の隅をつつくだけのようなつまらないルールに囚われず、いかに居心地よく楽しく働いて、ユニークなアイデアを多く生み出せるか。それが、ほぼ日流のチームビルディングとアイデア資本主義の核心です。

 ちなみに、従業員に対する「評価」はどのように行っていますか。いわゆる科学的管理法を取り入れていないのでしょうか。

 いえ、もちろん評価するうえで、科学的管理法を一部取り入れています。こういう項目では一般的にどういったことをすると評価されるのか、ある種の共同幻想かもしれませんが、共通の尺度は持っています。それがないと、人は他人を評価することができません。

 評価されるという点において、人が求めるものは何か。それは、数字や業績以上に「仲間に認められているか」ということではないでしょうか。自分がリスペクトされてない場所には、人はいたくないものです。そして、認められるということは、期待や信頼、安心感があるということです。あいつになら任せられる、あいつならやってくれると周囲に感じてもらえているか。そうしたことを幹部グループで合議し、評価を決めています。

 近年、日本的な年功序列を悪とする風潮がありますが、僕は必ずしも悪いものだとは思っていません。やはり年長の人は積んできた経験が豊かで、それが信頼や安心感につながっているからです。年が若い人はどうしても経験が乏しい分、伸び代を含めた期待値で見ていくしかない。その点で、ほぼ日には年功序列に近い考え方がベースにあります。

 いずれにせよ、手間がかかっても多様な人材の一人ひとりをきちんと見ていかなければ、互いが納得できる評価はできないだろうと思います。ただし、これができているのは、当社のサイズ感もあるかもしれません。

 貴社の採用告知では、従業員を「乗組員」と呼び、「いい人募集」という独特の表現を使ったことがありますね。ほぼ日が求める乗組員像とはどんなものでしょう。ちなみにヤマト運輸では、「いい人かどうか」が人事評価の項目になっているそうです。

 採用告知に掲げた「いい人」に、独自の定義があるわけではありません。一般的に「いい人」といわれる人と大差はないと思います。入社してから「いい人が来てくれてよかったね」と言う時の「いい人」です。結果の言葉を先取りしているにすぎません。

 ただし、強いて挙げるならば、「倫理」がある人、「思いやり」がある人に来てほしいですね。相手を慮る力があり、困った人を率先して助けにいける人、自分のわがままだけを押し通そうとしない人、町内会にこんな人がいたらいいなと思える人。日常の場面とビジネスの場面で求められる「いい人」というのは、そう変わらないのではないでしょうか。

 何度も申し上げる通り、ほぼ日の行動指針では、「おもしろく」よりも「やさしく」が先に来ます。クリエイティブ集団だからといって、おもしろいことが最優先ではないのです。だから採用においても、やさしさを持ったいい人であることが大切です。「やさしく、つよく、おもしろく。」の3つをしっかりと実践すれば、よい仕事ができると信じています。

 「この人と一緒に働きたい」と思われるのが大事だということですよね。

 おっしゃる通りです。幼稚園の入学試験は、成績ではなく、この子がクラスにいてほしいと思える子を採りますよね。会社の採用もそれと同じだと思います。