文春は今回の問題を年末最終発売の合併号で報じました。思い返せば、同誌が松本人志氏の性加害疑惑を報じたのも、23年末のこと。つまり、文春は松本氏の問題と同様に本件に注力している。「2025年はこの問題を追及しようとしている」のだということは、ある程度報道メディアに関わっている人間であれば、想像がつきます。

 にもかかわらず、脊髄反射のように「一切関与していない」と否定してしまった。この対応は誤りだったと思います。どんなに社員は無関係であるという自信があったとしても、「現時点では社員の関与があったとは考えていませんが、さらなる調査をもって……」等、含みを持たせておくのが最善の策でした。案の定、文春の報道は続き、傷を深くしたといえます。

テレビの良さを全く生かせなかった
フジテレビの会見

 さらに1月17日に行った記者会見で、テレビカメラを入れなかったのは決定的にまずかったです。「テレビ局なのに映像取材を許さない」というのは、誰が見てもおかしなことでしょう。

 その結果、フジテレビを含め、各局のニュース番組が紙芝居のような異様な形でこの事態を世に知らしめてしまったのです。

 世の中の問題の多くは、賛否両論あるものです。SNSが世論の形成に非常に強い影響力を持つ昨今、原発問題、ライドシェアなど賛否がある問題は一つの方向に世論が盛り上がりにくい側面があります。そういう現代において、「誰が見てもダメなことをやってしまう」と“負け”なのです。フジテレビは会見で、まさにそうした「誰が見てもダメな」失敗をしました。

 映像によってシンプルに分かりやすく伝えることが真骨頂であるテレビで、シンプルに分かりやすく責められる材料を提供してしまった――。これが、フジテレビの会見における大きな失敗でした。

 第三者委員会についても同じです。17日の会見では、「第三者の弁護士を中心とする調査委員会を立ち上げる」ことに言及しましたが、日弁連のガイドラインに沿った「第三者委員会」ではないことが批判されました。これも分かりやすく、突っ込まれる材料を提供してしまった形です。

 結局、日弁連のガイドラインに基づく独立した第三者委員会を立ち上げることになり、オープンな形式での会見も行われることになりました。正直、ここまでの対応は場当たり的といわざるを得ません。