小説・昭和の女帝#32Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】自民党の総裁公選での勝利が確実になった加山鋭達は、「昭和の女帝」真木レイ子の事務所を訪ねた。レイ子は権力の絶頂にある加山と会話する中で、彼が二十代のころに抱いていた理想を忘れてしまったことや、女性に対する支配欲が強くなっていることを確信した。(『小説・昭和の女帝』#32)

加山が落ち目になる一方、息を吹き返した鬼頭紘太

「皆さあーん、新潟は半年も雪の孤島だ。この雪をなくすために上越国境、三国峠の山を削って平らにする。そうすると、水気を含んだ冬の雲は新潟に雪を降らせない。関東平野に抜けていく。東京の野郎どもの上に雪が落ちるんです。三国峠で削った石や土をどうするか。新潟の海に埋めて佐渡と陸続きにすればいいんです」

 これは加山鋭達が二十代のころ、初めて総選挙に立候補した際の演説だ。ほら吹き以外の何物でもない。だが、彼はほらを吹きながらも、汗水を垂らして権力の階段を登り、ついに加山内閣を発足させた。高等小学校しか卒業していない“庶民宰相”の誕生に国民は沸き返り、支持率は60%を超えた。

 国民の熱狂は、加山鋭達が上梓した『列島改造』が、90万部を超えるベストセラーになったことにも表れていた。

 だが、レイ子は冷めた目でその熱狂を見ていた。

 加山ブームは、長らく続いた佐藤栄作体制への反動という面が大きかった。佐藤のエリート主義、血統主義への国民からの反発は根強かった。

 また、ブームの裏には、戦後の復興で既得権者になれなかった一般市民の不満があった。フラストレーションをため込んでいる非特権階級の国民までが一気に豊かになろうとすれば、いろいろな無理が生じるように思えてならなかった。

 景気はすでに過熱していた。高度経済成長が終わる前の最後の高揚が、加山を押し上げていた。新幹線や道路の整備計画が掲載されている彼の著書をこぞって購入したのは、不動産業者や建設業者だった。土地を買って右から左へ流せば大もうけできる時代、土地成金にとって加山は、神のような存在となっていた。

 一方、レイ子はといえば政財界からいよいよ干されつつあった。役所の人事異動のたびに、昇進した官僚たちが「真木先生のおかげです」などと言ってあいさつに来ていたのもいまは昔。事務所は閑古鳥が鳴いていた。

 彼女は毎年70人ほどの就職の世話をしてきたが、その中には官僚の子供も少なからず含まれていた。子の面倒まで頼んだのに、政界の風を読んで加山になびいた官僚たちの薄情さに彼女は呆れるしかなかった。

 ただ、少数ながら味方はいた。

 とりわけ有り難かったのが、大蔵官僚の藤本久人が情報源になってくれたことだ。藤本は内閣官房に出向し、佐藤内閣の竹下登官房長官の秘書官を務めたが、余程、働きが良かったのか、加山内閣でも官房長官の秘書官を任されていた。新しく官房長官になったのは、「自分の趣味は加山鋭達」と公言するほど加山に心酔している二階堂進だった。

 藤本によれば、加山が初めて総理官邸に入った日の夜、マスコミ出身の加山事務所の2人の男性秘書が、加山に直言したことがあったという。彼らと同じく秘書で、加山の愛人でもある小林亜紀について、「政権の命取りになるので切ってください。辞めさせるのが難しいなら、せめて表の舞台から遠ざけていただきたい」と懇願したのだ。しかし、加山は忠告を受け入れなかった。「亜紀は切れない。君たちには分からない事情がいろいろある」という答えを聞き、2人の忠臣の一方は加山の下を去った。

 亜紀は砂防会館にある加山の後援会の金庫番として、加山派の議員らの女将さん役として権勢をほしいままにしていた。永田町の有力秘書といえば、いまやレイ子から亜紀に変わったのだった。

 加山は、亜紀の進退だけでなく、政策面においても、人の意見に聞く耳を持たなかった。総理になってすぐに「日本列島改造懇談会 」を設置し、列島改造の実現に動き出した。

 だが、大蔵省幹部や有力政治家の意見は割れた。レイ子が藤本に聞いたところによると、加山の政策に乗ったのが高木文雄主税局長をはじめとした主流派グループだった。これに対し、インフレ下で景気刺激策を打つことに慎重だったのが橋口収理財局長だ。橋口が時の人である加山を向こうに回すことができたのは、加山のライバルである福田赳夫が後ろ盾になっていたからだった。主流派、慎重派の双方のボスである高木と橋口は、レイ子が課長時代から可愛がってきた官僚だった。

 政策論として反対の論陣を張ることはできても、日本において総理の権限は極めて強い。福田という後ろ盾があったとしても、政権に抗い切れるわけはない。加山が強引に政策を推し進めるうちに政財界は加山一色となり、レイ子の事務所と顧問契約を打ち切る企業がいよいよ増えてきた。

 加山は、大企業に対して表でも裏でもカネを要求した。加山派への政治献金は年間20億円に上った。自治省に報告した表のカネだけで、である。

 選挙となれば、全国区から出馬した候補者を企業に割り当て、その企業の社員を動員して選挙運動をやらせた。加山企業の関係を取り仕切ったのが亜紀だった。企業からすれば政府・与党の裏の窓口は亜紀一人でよく、レイ子は不要になったのだ。

 それはレイ子にとって屈辱的なことだった。なぜなら、彼女は長らく亜紀を見下していたからだ。