1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第17回は平成前期、1997~2000年までの4年間だ。
【85】1997年
三洋証券、拓銀、山一証券…
連続破綻で日本経済はどん底
1997年4月、橋本龍太郎内閣の下で消費税率が3%から5%へと引き上げられた。当時、日本経済は景気回復局面にあると認識されていたのである。しかし、結果的には消費税率引き上げは消費を冷やし、経済を大きく失速させる要因となった。
さらに97年7月からタイを震源としてアジア各国で急激な通貨下落と経済危機が広がった。このアジア通貨危機も、日本の金融危機に拍車をかける。そして秋以降、衝撃的な事態が広がった。
最初は11月3日、証券準大手の三洋証券が会社更生法適用を申請したことに始まる。上場証券会社として戦後初の倒産だった。翌週の11月17日、都市銀行の北海道拓殖銀行(拓銀)が短期資金繰りの悪化により、自主再建を断念すると表明した。さらに1週間後の11月24日、四大証券の一角である山一証券が、自主廃業に向けて営業を休止すると発表する。まさしく週替わりで危機が更新されていったのである。
山一証券については足元の業績悪化だけでなく、「飛ばし」による隠れ債務の存在がかねて疑われていた。自主廃業の発表とともに、不正会計によって隠されてきた簿外債務が2600億円もあったことが明らかにされた。