それは「あそこまで全力で行け!」とやらされているわけではないんです。自分で調整できることに意味があります。

 やはり、自らその限界を伸ばそうと思わなかったら、「正しい根性」はつきません。

「やめたい」と思ったときに、何も考えずに「やめてしまう」。

 だから、自ら成長できる場面に怖がらずに飛び込めるような子どもになってほしいと願い、「令和の根性野球」と掲げることにしたのです。

 もちろん、“昭和的”な無茶な練習は行いませんし、子どものケガのリスクや体調のことは第一に考えて取り組んでいます(走り込みも熱中症の危険がある夏場などには行いません)。

頑張るのか、楽をするのか。決めるのは子ども自身です

「正しい根性」というのは、指導者や親などから与えられて身につけるものではありません。

 昔の厳しい時代の「根性」は、やらされているメニューに耐えるという根性。強制されたことをひたすら耐えるという根性。

 私たちが目指す根性のつけ方は、自分で選択できる、というのがポイントです。

「やめてもいいし、やり抜いてもいい」という根性。どっちを選ぶのか、厳しい道を進んでもいいし、楽をしてもいい。

 その判断を“任せる”環境を作ることが私たち大人の役目なのです。

 もうワンステップ上の自分に到達するためには、そこはもう本人の心しかないと思います。

 自らが頑張って限界を伸ばしていけるか。

 ここでやめたいと思う気持ちを伸ばしていけるか。

 いろんなことをやり切ったら、最後には目に見えない力、諦めない自分というものが備わってくるのです。

 こうして辿り着いた根性は、必ず子どもたちを良い方向に導いてくれるはずです。