歩き回っていて問題を起こすことはたまにしかなかった。1978年9月、スポーツ用品店の店員と口論した後、プエブロの病院に連れ戻された。彼はそこに3か月近く入院している間に、クリスマスにアメリカを離れて市民権を放棄するつもりだ、と宣言した。

 1年後、パイクスピーク精神保健センターの看護師と言い争いになり、プエブロの病院に戻った。

星と話す息子に
両親が下した決断

 彼が「ロック・ナイフ化学」と呼ぶものとかかわる特定の成分が、地中で見つかる場所を空のさまざまな星が教えてくれる、と言いだしたのは、そのときだった。

 彼は、それらの成分を見つけ、ハンマーで砕き、その粉末を食べなければならないと信じていた。

 ドナルドは1980年1月7日に退院を許されたが、3月には再入院した。ドンとミミが彼に我慢できなくなり、自分でアパートを見つけて暮らすように言った後のことで、プエブロの病院に入るのは、これが10年間で6度目だった。

 病棟では、ドナルドはイエス・キリストについてわめき立てたので、ソラジンの処方量が何度か増やされたが、効果はほとんどなかった。彼は、ロキシタンという抗精神病薬で落ち着くと、6月に退院した。

「自分はポール・マッカートニーだ」12人中6人の子が統合失調症を発症した一族の記録『統合失調症の一族:遺伝か、環境か』(ロバート・コルカー(著)、柴田裕之(翻訳)、早川書房)

 だが、11月にはまたしても入院した。薬を飲まなくなり、毎日18時間起きていて、声を限りに叫びながら、家の中を裸で歩き回っていたからだ。ジーンのこと(編集部注/離婚した元妻)に、また思いが戻っていた。

 ドナルドは彼女のことを自分の妻と呼んだ。銃やナイフについても口にしていた。

 病院の報告書によると、ミミとドンはこの長男を恐れていたという。

「2人はドナルドを愛していることを彼にしっかりと理解してもらいたかったが、彼が薬物治療で安定するまでは受け入れられない」とその報告書にはあった。