政治の波に翻弄され
進まぬ真相究明

 暗殺事件の2年後、2008年8月にロシアは隣国ジョージアに軍事侵攻していた。そのため英国を含む欧米の市民には反ロシア感情が高まっていた。そんな中でのロシアへの接近は、キャメロンにとって政治的リスクになりかねなかった。ヘイグはそのリスクを低減しようと連絡してきたのではないか。

「私はヒステリックにはなりません。冷静さを重視しています。だから怒りではなく、悲しかった。ヘイグが私をてなずけようとしたと感じた。私はただ、真実が知りたかった。なぜ夫が殺されなければならなかったのか。その理由の追及がこの国にダメージを与えるのでしょうか。私は英国を傷つけるつもりはありません。私と息子はロンドンに暮らす英国民です」

 真相究明が進まない可能性は高まっていた。

「ヘイグのやり方が腹立たしかったのですか」

「彼を責めはしません。彼には彼のやり方があるでしょう。でも、ミリバンドとは違いました。ミリバンドには人間的な温かさがありました。彼は偽善者ではありません。彼は夫の事件を心から悲しんでいたと信じます。ヘイグは異なっていました」

 個人の思想や言動を、その家系や経歴から解説することには慎重であるべきだ。同じ環境に育った者でも考え方は異なる。人が時代に応じて思考を変えるのも珍しくない。ただ、家族や自身の体験、育った環境が、考え方や行動に影響を与えるケースは確かにある。

 ミリバンドはポーランド系のユダヤ人である。英国社会の主流(メインストリーム)である、アングロサクソン系のキリスト(英国の場合は国教会)教徒ではない。

 また、ミリバンドの祖先にはホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)で命を奪われた親族もいる。弱者の視点で社会を見る習慣が身についていた。一方、ヘイグは英国社会の伝統的エリートだった。こうした環境がどこまで影響したかはともかく、2人の政治姿勢には違いがあった。