古き日本の風景、寺山修司の世界観の中で
どこまでも詩的な嵩(北村匠海)

 そんな話を聞いて立場のない嵩。のぶとの約束も忘れて家を飛び出してしまったようだ。建物が全然ないところに1本伸びる線路。下駄履きの青年が歩いている。

 古き日本の風景という感じである。寺山修司の世界。寺山修司はちょうど昭和10年(1935年)に生まれている。のちに大詩人となる。でも彼より前に詩人・やなせたかし(嵩のモデル)は生まれていたのだ。

 嵩が枕木に頭を乗せ、うつろな瞳で遠くの列車の振動音を聞きながら心を落ち着かせていると(このポーズも詩的)、ヤムおんちゃん(阿部サダヲ)がやって来た。

「こうして聞いていると落ち着くんです」と嵩は頭を乗せたまま。やがて列車がやってきて。ヤムおんちゃんは慌てて嵩の体を引っ張る。間一髪、猛スピードの列車が通り過ぎていった。危ない危ない。

 ここで、先述した「こんな情けねえ俺、もうやだよー、やだやだ、うわー」が発せられるのだ。

 嵩の苦悩を知らず、のぶは柳井家で嵩を待っている。頬杖によって丸くなったのぶの頬がちょっとアンパンマンに見えた。

 そこへ千尋がやって来て、のぶとふたり、嵩の描いた絵をながめる。そこには嵩と千尋が仲良さそうにシーソーに乗っている絵が描いてあった。

 嵩のために医学部をやめたわけではなく、単に兄とずっといっしょにこの家にいたかっただけだと言う。小さい頃、養子に出されてとてもさみしかったのだ。そう、千尋は養子に出されたことを忘れていたわけではなかった。幼心に忘れたふりをしたほうがいいと気遣っていたかと思うと切ない。

 スケッチブックには川で嵩と千尋と遊んだときのことが描いてあった。その川を嵩はヤムといっしょに眺めていた。あの頃はこの細い川が太平洋に見えて、渡るのは大冒険だった。このへんも嵩がいかに詩人であるか伝わってくる。数学なんかできなくたってこんなにも感受性が高くて繊細なのだからそれでいいのにね。