
「ゆる受験」という言葉の弊害
中堅レベルに上げるのも努力は同じ
渋田:最近は「ゆる受験」という言葉もよく聞きますが、あれもある種のごまかしだと思います。中学受験の世界に飛び込むこと自体、実は全然緩くないんですよね。戦略がちゃんとしている人たちが「ゆるく」やっているように見せているだけです。
富永:始めから目標を偏差値50に置く人と、70に置く人では戦い方が違うだけで、実際の努力量はそんなに変わらない。たとえば偏差値30の人が50を目指す場合、20ポイント上げなければならないので、ものすごくハードな努力が必要になります。「ゆるい」という言葉がどこか「価値がない」と聞こえてしまうのも問題だと思います。
渋田:その点については強く思うところがあります。2025年の入試では、市川、甲陽学園、昭和学院秀英、横浜共立学園、立教女学院など多数の入試問題で、中屋敷均著『わからない世界と向き合うために』(ちくまプリマーブックス)から、「バンジージャンプ」が飛べない君へという題材が出たのですが、あれはメッセージだと思うんです。勇気が要るけれど、結果はわからなくてもやってみる必要があるというような。
前回も言いましたが、正しく全力で、自分のベストを尽くすということ自体は悪いことではありません。最近は悪い結果になるのが嫌だからと、最初から頑張ることをやめさせてしまう保護者や大人が増えているような気がして、それはすごく危険だと思います。
富永:そこは本当に懸念していることの一つです。中学受験では親の影響力がとても大きいので、「努力」や「競争」といった言葉に過敏に反応する保護者が増えると、子どもたちに本来経験すべき「挑戦」や「成長」の機会を奪ってしまうことにもなりかねない。