大学時代に専属モデルを辞めて映像制作の道へ
自分が映されるより、華がある人を映したいと思うように

――大学在学中に専属モデルを辞めて、映像制作の道へ進まれました。「メンズノンノ」のモデルの中には、その後俳優として活躍する方も多いですが、モデルや俳優の世界に未練はなかったのでしょうか?

米倉 同じ世代の坂口健太郎くんや成田凌くんと一緒に仕事をしている中で、自分には彼らのような“華”がないことを痛感しました。とはいえ「何かを表現したい」という気持ちはずっとありましたが、自分にとっての表現の形は、モデルや俳優ではなく、映すことだと気づいたんです。だから、まったく未練はありませんでしたね。

――米倉さんは、数多くのファッションブランドの広告映像を手掛けてきたクリエイターとして知られています。最初に制作したのは、どんな映像ですか?

米倉 米国の女性映画監督のソフィア・コッポラさんがプロデュースする「ミルクフェド」というファッションブランドの映像制作を手掛けたのがはじまりです。

 まだ、モデルをしながら大学で映像を学んでいたのですが、たまたまバイト先のスニーカーショップが「ミルクフェド」の日本の代理店をしていて「撮ってみないか?」と声を掛けられたんです。

――思いがけずチャンスが訪れたわけですね。最初のギャラはいくらでしたか?

米倉 10万円です(笑)。安いと思われるかもしれませんが、それでも学生だった僕にはとても嬉しい金額でした。これをきっかけに「メンノン」のイメージビデオを撮るようになり、映像制作の仕事が身近な人たちから少しずつ舞い込むようになったんです。その後、ファッションブランドの映像を手掛けるようになったのは「パリコレ」がきっかけです。

――現地に行かれたのですか?

米倉 はい。モデルを辞めて、映像制作一本で食べていこうか、どうしようかと悩んでいたころ、パリコレにかかわっているファッション業界の知人から「それなら、パリに来てショーを撮ってよ」と誘われたんです。実際に行ってみると、想像以上に刺激的な世界でしたね。

 普段のパリって、とても静かな街なんですよ。なのに、パリコレの期間中は、世界中からいろんな人が集まって、街中がえも言われぬ熱狂と興奮に包まれるんです。多くの人を惹きつけるファッションのすごさというものを思い知らされ、ブランド関連の映像制作にのめり込んでいきました。

――クオリティが重視される有名ブランドの広告映像は、製作費も相当かかっているはずです。ギャラもかなり上がったのでは?

米倉 それがまったく(笑)。予算が付くと、その分、より斬新な映像表現や、仲間たちのギャラに充てたいと思うので、自分の取り分はどうしても少なくなってしまうんです。有名ブランドの広告映像などをバンバン撮っていたときでも、そこまで稼げるというわけではありませんでした。

――そんなものなんですか?

米倉 まだ20代だったのですが、同じ年代でサラリーマンになった人たちよりも安いですよね。入ったおカネは、自分の懐に入れるより、いい映像を作るために使ってしまう性分なので、貯金もほとんどありません。

 まだ若かったので、いよいよおカネがなくなったらバイトでもして稼げばいいと思っていたんです。とにかく「表現すること」が自分にとっていちばん大事でしたから。