避けられない集団疎開の際に、押し寄せる群衆が互いに踏みつけ合うのを防ぐため、数万人の警官が必要とされた。

 そしてロンドンの著名な精神科医グループは、心理的な被害者の数が、肉体的な被害者の3倍以上になる可能性が高いとする報告書を作成した。ロンドンにある医療施設の著名な所長が「戦争が宣言され、最初の空襲が始まったら、神経症の症例がすぐに殺到することは明らかだ」と語ったのは、当時の専門家のコンセンサスを最もよく表している。

実際には大規模なパニックが
発生しなかった理由

 ところが、戦争が始まり爆弾が投下されても、実際には大規模なパニックは発生しなかった。

「非常に驚いたことに、攻撃による死傷者や破壊が相次いだにもかかわらず、心理的な犠牲者はほとんどいなかった」と、心理学者のスタンレー・ラックマンは書いている。

 ある報告によると、激しい爆撃の後に入院した578人の死傷者のうち、主に精神的な症状を訴えていたのは2人だけだった。別の報告では、ある医療機関にいた1100人の患者のうち、明らかな精神障害を示したのは15人だけだった。

 心的外傷を受けた神経症患者が殺到するどころか、実際には1940年に精神科病院に入院した患者の数は1938年よりも少なく、1941年にはさらに減少した(編集部注/第二次世界大戦勃発は1939年9月、ロンドン空襲は1940年9月から)。

 心理学者のアーヴィング・ジャニスは次のように書いている。「1つの明確な点が浮かび上がっている。空襲が激しさを増し、破壊的になるにつれて、目に見える恐怖反応は明らかに減少したということだ」

 ドイツによる大空襲の間の日常生活を目撃した人々による証言は、一般の人々の回復力をさらに裏付けている。戦争中に働いていた数十人の医師や心理学者を調査したフィリップ・バーノンは、「戦争の初期には、ロンドンの市民の多くが、サイレンの音を聞くだけでシェルターに逃げ込んでいた」と述べている。

 しかし空襲が激しくなるにつれて、「多くの市民は、航空機や銃撃、爆弾の音が伴わない限り、サイレンを全く気にしなくなった。また一部の地域では、サイレンが鳴ったという事実を口にすることさえ、社会的なマナー違反になっている」。