
戯曲『奇跡の人』のモデルとしても名高いヘレン・ケラー。生まれて間もなく病に襲われ視覚と聴覚を失うという大きなハンデを負ったが、高い学習能力を身に付け、現在のハーバード大に連なる名門女子大を優秀な成績で卒業。困難を抱えたケラーへの教育から、現代でも通じる要素を抽出した。※本稿は、スコット・H・ヤング著、小林啓倫訳『SENSEFULNESS(センスフルネス) どんなスキルでも最速で磨く「マスタリーの法則」』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
ヘレン・ケラーが述懐する
「魂の誕生日」
ヘレン・ケラーは生涯を通じて、2つの誕生日を祝った。1つは自身の誕生日。もう1つは彼女の「魂の誕生日」であり、それは愛する教師、アン・サリヴァンが自宅にやってきた日である。
生後19ヵ月の時に、ケラーは当時の医師が「脳炎」と診断した病気にかかった。彼女は回復したものの、聴覚と視覚を完全に失ってしまった。耳が聞こえず、目も見えなくなったケラーに残されたコミュニケーション手段は、欲求を表現するための、即興で作った数十のハンドサインだけだった。
しかしほとんどの場合、彼女はかんしゃくを起こしていた。「私は唇を動かし、必死にジェスチャーをしたが、無駄だった。それで私は心底腹が立ち、疲れ果てるまで蹴ったり叫んだりした」と、自伝で当時の心境を振り返っている。6歳になる頃には、そのような爆発はほとんど毎週のように起きるようになっていた。
困り果てたケラーの母親は、ローラ・ブリッジマン(編集部注/ケラーの50年前に誕生、2歳で盲ろうとなり、7歳でパーキンス盲学校に入学。触覚手話による読み書きを入り口に、幅広い教育を受けた)という別の盲ろうの女性が教育を受けていたという話を偶然耳にした。娘にも同じようなことができるかもしれないと期待した彼女は、パーキンス盲学校に連絡を取った。そこで推薦されたのがアン・サリヴァンだった。