競争人生に身を置いた
あるエリートサラリーマンの話

 自分ではどうにもならない流れの中、そこを流されながら歩く。「運」「流れ」を含めた不透明ジャッジの中での出世競争。上にいけばいくほど、その要素は高まる。だからこそ、会社生活において出世した・しないに関する結果だけに目を向けるのは危険なのである。

 がんばる動機が出世する・しないだけになっていないだろうか?もしそうなら、勝ち負けではない満足ポイントをもう1つつくったほうがいい。 

都心に住む高学歴ビジネスマンのIさん。彼は典型的な競争人生に身を置く人であった。独身時代は高級レストランに彼女とデートに行き、海外旅行をすることをステータスとしていた。やがて結婚し、都内に20坪ほどの一戸建てを4500万円で購入。外車を持ち、子どもたちを私立の中学校に入れるべく毎月7万円の塾代を支払っていた。

 スポーツは休日に1日2万円はかかるゴルフをたしなみ、服もブランド物を着用していた。年収800万円のIさんだが、この生活をするとほとんどお金は残らない。この生活を維持するために毎日死にもの狂いで働き、出世競争にいそしんでいた。

 優雅な生活に見えなくもないが、ちっとも優雅ではない。しかも、本人はその生活を守るため意味もなく張り詰めた状態が続いていた。

 班長だったのが係長になった、年収がアイツより30万円高い。俺の家のほうが5坪大きい。微小な勝った負けたに一喜一憂し、血を流しながら走りまわっていた。しかしあるとき彼は心を病み、会社をしばらく休むことになった。